エッセイ59 (2018年4月30日著)
たかが親、されど親
魂の観点から見た、親子関係の考察
親を失う痛みを乗り越えるために
著者:加藤優
第七章(最終章):魂から見た親子関係
本章は、魂の観点から見ると、親子関係がどのように映るのかを説明します。あなたの魂は、永遠不滅の光であり、あなたの親の魂も、同じです。二つの光は、お互いを輝かせあうために、綿密な連携を保ってきたのであり、それは、今生での人生を終えて、その先の人生、いわゆる、来生以降にも引き継がれていきます。二つの光は、今生を超えてもなお、交差していきます。二人の人間としての、親子としての関係は、今生で終わるのかもしれない。しかし、二つの魂としての、二つの光としての関係は、来生以降も存続し続けるのです。
であれば、あなたの親が他界したのだとしても、あなたが彼の魂・彼女の魂のためにしてあげられることは、まだあるのです。それは、あなたが、「あなたらしく」生きることで、あなたの魂を輝かせることです。あなたの魂の輝きに触発され、あなたの父親の魂・母親の魂は、その周波数が増幅され、輝きを増します。すると、あなたの光の支援を得て、彼の魂・彼女の魂は、転生をスムーズに乗り切り、彼の来生・彼女の来生が、より意義深いものになっていくのです。
本章は、あなたの魂という一つの光、あなたの親の魂という一つの光が、人生の代をまたいで、どのように関わり合うのかを解説し、あなたが何を心がければいいのかを提案していきます。本章のメッセージを、特に、最近、親を失い、その喪失感で苦しんでいる人に捧げます。
なお、下記に述べる洞察は、おおむね、私自身が、変性意識状態になり、私の魂と霊的に交信することで得た知恵を記しています。他の神秘主義者や霊能者の著作の内容は、参考にはしていますが、それを基に下記を構成していません。下記の内容は、私自身が得た霊的知恵であります。
霊的知恵について、その情報としての、基本性質について、どうかご理解ください。霊的知恵は、各人が変性意識状態(非二元意識)になることで、得られるものです。その情報を得る過程は、非常に主観的です。私が瞑想中に見るものを、ライブで、他の人にも見える形で提示することが出来ないのです。私が出来るのは、瞑想後に、私が見たものを報告することだけです。その霊的情報が、客観的で科学的な真実であるかどうか、検証することは、そもそも不可能なのです。ですから、下記を、客観的で科学的な真実として記すつもりはありません。ですが、霊的に真実だと私が感じられる事項を、記しています。
この点に関し、読者であるあなたは、「下記が正しいのかどうか?」という観点で読み進むのではなく、「下記が私に役立つのかどうか?」という観点で、読み進んでください。役立つと感じられるのであれば、下記のメッセージを咀嚼しようとしてみてください。私は役立つものである、と信じています。
第一節:親と子、二つの光としての関係と共進化
あなたの魂は、無限に広がり、永遠に継続される精神であり、あなたを存在せしめるポテンシャルであり、「いのち」そのものです。あなたの意識が変性意識状態(非二元意識)にある時、あなたはそれを、まばゆい真っ白な光として知覚します。「本当のあなた」とは、限りなく広がる光だとも言えます。その光線の広がりの一部が肉体をまとり、その肉体と重なる形で、あなた個人としての意識(自我)が芽生えます。その肉体を、あなたは「自分」だと思っているのですが、その肉体があなたという存在の本体ではありません。あなたの存在の本体は、光の全容であります。
その光の観点から見ると、そもそも、「親―子」という観念が、その光のリアリティには存在しません。あなたという存在は無限の光であり、あなたの父親も無限の光であり、あなたの母親も無限の光です。それらは、永遠の光であり、老いも若きも無い。役割りとか立場というものが存在し無いので、どちらの魂がより偉くで、どちらの魂が劣っているということもない。それらは、光でしかない。
光であるあなたの魂と、光であるあなたの親の魂は、何を望んでいるのか?それは、お互いがお互いを灯し合って、お互いが、もっときらびやかに輝きを増すことを望んでいるのです。
光源が二つ存在する状況を想像してください。例えば、暗い部屋に、ロウソクが二本灯っている状況を。そして、一本しか灯っていない状況と比較してみてください。二本灯っている方が、その空間がより明るくなるだけでなく、個々のロウソクの炎が、より輝きを増して、見えます。そのことが理解できますでしょうか?一つの炎が放つ輝きと、もう一つの炎が放つ輝きが、重なりあうことで(物理学の用語でいうところの、波動の「干渉」)個々の炎の部分が、より明るく見えるのです。
簡単に言えば、一つの魂ともう一つの魂が触れ合えば、お互いに輝きを増すのです。魂はそれを望んでいるのです。そして、魂はいくつかの他の魂たちと協力し合いながら、チームを組んで、その目的に臨みます。輪廻転生の過程で、何度転生を繰り返しても、その協力関係を維持して、お互いが輝きを増す協力を、何百年にもわたって、積み重ねるのです。
輝きを増していき、光としての周波数を増幅させていく。そして、その波動の周波数が究極的に高められると、それは、色味のかかった光としては、存続しなくなります。究極的に眩しくなった光が、光以上の何かになるのです。そして、魂は、光としての存在を止めて、次のレベルのリアリティーに移行していきます。
光の世界の超えた、次の次元のリアリティーを、私は、変性意識状態にある時に何度か目撃しているのですが、それを形容できる人間の言葉が見当たりません。一番近い言葉が、「無」もしくは「空」です。魂は、光の世界から、無の世界に移行しようとしているのです。それが、魂にとっての進化であります。
その進化を、一つの魂が単独で取り組むことは、まずありません。私は、単独で進化に臨む魂に会ったことがありません。既述した通り、魂はチームを組んで共進化に臨み、その協働作業は、輪廻転生のそれぞれの人生の代をまたいで、行われます。例えば、次のような感じで。
仮にあなたの魂とあなたの親の魂が、百年ごとに転生しているとしたら、例えば、三百年前に、あなたの魂は、その人生では、親として人間化し、あなたの親の魂は、その子供として人間になる。そして、親(あなた)−子(あなたの親)という人間としての関係を通じて、その人生経験を通じて、お互いの輝きを増そうとする。
二百年前には、あなたの魂は、その人生では、弟として出現し、あなたの親は、その姉になる。弟(あなた)−姉(あなたの親)という人間としての関係を通じて、その人生経験を通じて、お互いの輝きを増そうとする。
そして、百年前、あなたの魂は、その人生では、夫になり、あなたの親の魂は、その妻になる。夫(あなた)−妻(あなたの親)という人間としての関係を通じて、その人生経験を通じて、お互いの輝きを増そうとする。
そして、今生、あなたの魂は、子供として出現し、あなたの親の魂は、親になり、子供(あなた)−親(あなたの親)という人間としての関係を通じて、その人生経験を通じて、お互いの輝きを増そうとする。
そのように、あなたの魂とあなたの親の魂は、お互いが近しい者としての人生を繰り返し、お互いの輝きを増す努力を、何百年と継続しているのです。もちろん、常に家族として転生するとは限りません。とある人生の代では、例えば、友達関係として、また、とある人生の代では、例えば、先生と生徒としての関係を持ちます。
私が観察する限り、非常に近い関係(例:夫婦)の人生を過ごした後は、少し距離を置いた関係の人生(例:職場の同僚)を持つのが普通です。そして、その後は、また距離が縮まった関係の人生(例:姉妹)が続き、その後、だいたい、交互に、その距離が近づいたり、遠ざかったりします。
なお、よほどのことが無い限り、魂の共進化の同盟関係が崩れることは、ありません。一度同盟を組むと、どうやら、千年単位で、どのように進化していくかの協働プランが立てられているようです。
まず、あなたにご理解いただきたいのは、次の点です。あなたの父親か母親が亡くなったのであれば、それで
今生での、二人の人間としての、親子関係は終わったのかも知れません。しかし、あなたという魂とあなたの親の魂、二つの光としての関係は、今生を超えて、継続されていくのです。
そして、ほぼ間違いなく、来生において、あなたとあなたの親は、近しい存在として、互いに影響を与え合う人生を送ります。仮に、地政学的に遠く離れた二つの場所に転生したとしても、例えば、あなたがヨーロッパ、あなたの親がインドに転生したとしても、あなたがヨーロッパで記した著作を、インドであなたの親が翻訳するような、そんな近しい関係が実現するのです。
ですから、あなたの父親か母親が亡くなったのであれば、それで、関係の全てが終わったと考える必要は無いのです。
第二節:魂の原理
さて、もし、今生での、あなたとあなたの親の関係が、非常に陰惨で苦痛に満ちたものであれば、むしろ、彼か彼女が死んだら、それであなたとの関係が全て終わるほうが、あなたにとっては、すがすがしいかもしれません。来生に、お互いが近しい存在として、再会するであろうことを、あなたは歓迎できないかもしれません。今生で、顔を見たくないと感じているあなたの親と、来生も顔を会わせるとしたら、あなたはうんざりするかもしれません。あなたにとっては、来生でも、あなたの親と憂鬱な関係が繰り返されるように思えるからです。
あなたとあなたの親が、お互いの魂が輝きを増すために、うんざりする人生を繰り返すのなら、それは、理にかなわないように感じることでしょう。お互いに幸せな人生を繰り返すことで、魂の輝きを増すのは、理にかなうけど、いがみ合う人生を繰り返すことで、魂の輝きを増そうとするのは、おかしいと。
ここで、魂の原理と人間の原理は、全く違うことを強調しておきます。人間としての幸せとは、基本的には、「快」を体験することで得られます。例えば、美味しいものをたべたり、友達との会話を楽しんだり、お気に入りの車でドライブしたり、スポーツ選手として試合に出場し勝ったり、売り上げを挙げて昇進したり、など。
これに対し、魂にとっての幸せとは、人間の目から見ると受け入れがたい苦痛や不運を、受け入れることで得られます。魂の光、その波動は、質的には慈悲に満ちたものであり、むしろ、慈悲そのものだと言えます。その慈悲は、それ自体を大きく拡張させて、神羅万象のありとあらゆるもの、事態、状況、現象を、包容し受け入れようとしています。
それが魂の本質である以上、愛しがたい何かを愛することが出来ると、魂は達成感を得るのです。魂が登山家であるのなら、人生における困苦やトラブルが、山に相当します。この喩えでは、生活における非常に苦しい事態や状況(例:倒産、離婚、病気、等々)は、山の険しさを意味します。険しければ険しいほど、その山を登頂出来た時に満足感を得られるように、その事態や状況がつらければつらいほど、それを許せた、それを受け入れることが出来たときに、魂は満足感を感じます。
なお、魂は、許すことに興味を持っているのであり、その問題を、物理的に解決することにはあまり興味がありません。魂が、問題を物理的に解決しようとしない、ということはでないのですが、その重要性は、二次的なものなのです。
例えば、勤務先の上司から不当な評価を得て、あなたが失業したのであれば、魂は、次の新しい仕事を見つけることで、その困難を物理的に乗り越えようとすることに注力するのではありません。魂は、その上司を許し、仕事を失ったあなた自身を許し、その状況を丸ごと許すことで、その状況から何ら心理的ダメージを受けていない状態、悲しくもないし、怒ってもいないし、フラストレーションも感じていないし、そういった状況下で、ただただ、平穏な心境を保てる状態を、魂は目指します。そして、そういった心の安寧を得られれば、魂は、魂としての幸せを感じ、その輝きを増します。
それが魂の本質であるために、魂は、人生における困苦を歓迎します。むしろ、あえて困苦を得るために、魂は、あなたの人生を設計することすらあります。
例えば、私の魂が、私の両親を選択した際に、私の父親をあえて選んだのは、彼が私を虐待することがあらかじめ分かっていたからです。なお、このことは、私自身が私の魂と交信して分かりましたし、複数の霊能者(psychic
reader)によっても確認されています。
私は幼少期に父親からひどい暴力を受けたために、世界が脅威に満ちているかのような世界観と不安感が刷り込みされて、人間不信に陥り、その後の人生に多大な影響を受けました。しかし、その影響を乗り越えるために、私は自分を見直す霊的修養を繰り返し、私の魂を知覚し体験できるようになり、精神覚醒を遂げるまでに至りました。
もし父親から暴力を受けることが無かったのであれば、精神覚醒を遂げることは無く、今、私が味わっている深い幸せを、得ることはあり得ませんでした。ですから、言葉にすると、非常に奇妙に聞こえるのですが、私は、つくづく、父親から虐待されて良かったと思います。
もし、あなたがあなたの親と、お互いを傷つけ合う、相克の関係にあるのなら、それは、もしかすると、あなたの魂とあなたの親の魂があえて仕組んだプロット(台本)である可能性があります。それは、たまたま偶然に発生した事故のようなものではなく、あなたがそこから何かを学ぶのが期待されて、そのために準備されたものなのです。
例えば、あなたが親から批判され続けたために、健全な自尊心を得ることが出来なかったのであれば、あなたがただ親を憎むだけなのなら、それは、あなたの魂の意図を完全に見落とすことになります。あなたの魂の意図は、あなたの否定的な自画像の下に隠されている、あなたの本質、本性、魂そのものを、あなたが発見することにあります。
あなたがそれを発見すれば、あなたの本質は、あなたの親がどれだけあなたを罵倒したとしても、何ら影響を受けていなかったことを知ります。あなたという存在の核は、あなたの親から何ら影響を受けなかったのです。それを身をもって知ると、あなたは親を許せるようになります。なぜなら、あなたという存在の基盤は、親から何ら傷一つ受けていないのです。あなたは、自身の本質を知り、親を許し、健全な自尊心を得て、深い幸せを感じ、あなたの魂の光は、その輝きを増します。
魂は困苦を許そうとしています。困苦を許すことで、魂自体の輝きを増そうとしています。その目的のために、人生において、困苦を求めすらしている。今、あなたとあなたの親がせめぎ合っているのであれば、それは、魂の意志に基づいたものであるはずです。
魂の観点からすると、あなたとあなたの親がいがみあっている状況というのは、お互いが許し合うきっかけがそこら中に散りばめられた、宝の山のようなものなのです。許すきっかけ、もしくは、許すことが求められる状況、それは、魂にとっての宝物です。その宝物が、あなたとあなたの親との関係の中で、あちらこちらに秘蔵されているのです。
あなたとおなたの親が、今生において、傷つけ合っているのなら、その状況は、魂にとって宝探しの冒険を楽しむようで、実は、魂はワクワクするのです。親との対立によって、あなたが苦しんでいるのだとしても。その状況は、魂にとっては、それほど悪いものではないのです。
であれば、仮にあなたとあなたの親が転生して、次の人生で、近しい存在として再びめぐりあった時に、今生と同じように、いがみあう関係に陥る可能性は十分にあります。しかし、子(あなた)−親(あなたの親)という構図が、来生で再び繰り返される可能性は極めて低いです。おそらくは、来生では、関係を逆転させて、親(あなた)−子(あなたの親)という関係を通じて、そこで対立が発生し、あなたは、親子の対立を、来生では、親の立場で学ぶことになりそうです。
とはいえ、魂は、許す機会を望んでいるのであり、苦痛そのものを望んでいるのではありません。あなたの魂は、あなたが、あなたの親と対決して苦しむことを望んでいるのではありません。しかし、もし、今生において、あなたが、あなたの親との対立に潜んでいる魂の意図に全く気付かないのなら、すなわち、その対立関係に「許す」機会という宝物が秘蔵されているのに、気づかないのなら、魂は、来生において、ほぼ同じセッティングをあなたに準備してあげて、あなたが「許し」という宝物に気づくのを待とうとします。すなわち、今生にあなたが魂の意図に気づかないのなら、あなたの親との対立は、転生後、来生において、人間としての立場を変えて、同じ対立が繰り返されるのです。
あなたの魂は許そうとしているのであり、その機会を欲している。どうか、その魂の原理を咀嚼してください。
第三節:あなたがあなたらしくあることで、あなたの魂は輝きだす。
本章、ここまでの議論を踏まえて、あなたは一体何を心がけたらいいのでしょうか?あなたの魂が輝きを増すために、あなたはどうすればいいのでしょうか?魂が困苦を歓迎するのなら、あえて困難な道を歩めばそれでいいのでしょうか?
私は、上記の問いにこう答えます。「あなたがあなたらしくいようとしてみてください」と。
あなたがあなたらしくあろうとすると、魂がそれ自体を発露することを許すことになり、魂の輝きが増します。
例えば、私(筆者)が私らしくあろうとすると、次のような状態や行動を求めだすことが分かります。それを思いつく限り列挙してみます。
・森の中で、ゆっくりとしたい。
・自分の周りの人、家族、友人、知人ともっと冗談を言い合って、笑いあいたい。
・孤独に苦しむ人があるのなら、その人を抱擁し、孤独にあえぐその人ですら、誰かに愛されていることを、感じてもらいたい。
・繊細であるがゆえに傷つき、自殺すら考えている子供があるのなら、その子に、その繊細さが、その子の人生にとって宝物であることを、伝えたい。
・癌を患い、死の恐怖に怯えている人があるのなら、その震えがとまるまで、傍にいてあげたい。
・自分の霊的洞察を伝えるのに、エッセーや書籍を記したい。
同様に、あなたも、「あなたらしくあろうとする」時に、あなたが何を望むのか、それを幾つかあげてみてください。
その際、「単純に今やりたいと思っていること」と、「あなたがあなたであるために、あなたが望むこと」を分別して、後者をリストアップしてみてください。では、両者をどう見分ければいいのでしょうか?
前者は、例えば、「寝不足だから、今は寝たい」とか、「風呂掃除して、きれいな風呂に入りたい」とか、「久しぶりにケーキが食べたい」とか、そういった類のことを差しています。
それに対し、後者は、あなたの本心が望んでいる何かであり、あなたの心の渇きを癒してくれる何かです。あなたが「魚」であるのなら、あなたにとっての「水」は何か?と、私は、あなたに問うのです。それ無かりしば、あなたがあなたで居られなくなるように感じさせる何か、それは何なのでしょうか?あたかも、夜に飛んでいる虫が、街灯に引き寄せられるかのように、あなたがごく自然に引き寄せられてしまう何か、それは何でしょうか?
それを幾つかあげてみてください。それらに、何がしかの共通項はありますでしょうか?
私が私であるために私が望むこと、それについて上で挙げた項目は、別段、私が愛他的であることを強調して、あなたに私を尊敬して欲しいのではありません。私は、私の内側で、うずいている何かを、素直に表現しているだけです。私の内側で、温かく、柔らかく、優しい感覚が、外に向けてあふれ出ようとしています。その温かさは、苦しんでいる人、孤独で泣いている人を包んであげようとしている。
そして、私の内側で、心の叫びが聞こえます。「私と同じ苦しみを、もう誰にも味わって欲しくない」と。私は、10代の時に、孤独に苦しみ、自殺しようと思い、手首を切ったことがあります。孤独に苦しんだのは、私があまりにも繊細で、周りの人のちょっとした冷たい態度が、私を拒絶しているように感じられたからです。だから、私は、繊細で、孤独感を感じて、自殺を考えている人を助けてあげたいと感じます。
私が癌患者を助けたいと思うのは、父親が肺がんで死んだ時に、私自身がとてもつらい想いをしたからです。私の父親が癌で死ぬとき、死の恐怖から彼は正気を失い、私が息子であることすら分からなくなりました。父親が天に昇るとき、彼は、私が傍に居ることを理解できなかった。私が彼を見送っていることを、彼は認識できなかった。そのことが私をいたく失望させました。
そういった個人的な体験から、私の視点は、繊細であるがゆえに傷ついている人、孤独感で震えている人、自殺したいとさえ思えるほどに絶望している人、癌を患い苦しんでいる人、そういった人達に、向いていることが分かります。そういった人達を助けるのが、私の使命であるとすら感じています。
私は、本心から、誰かを助けようとしているし、誰かに笑って欲しいと思っているし、喜びを分かち合いたいと感じています。私の内側の温かさが、私の身体を超えて外に向かって広がっていって、周りの全てを抱擁しようとしている。私は、それを感じることが出来ます。
私があげた項目の最初のもの、「森の中で、ゆっくりとしたい」は、一見すると、他のものとは別に見えます。誰かを助けようとしているのではなく、私の個人的ニーズを満たそうとしているかのような。しかし、それでさえも、私は、自分自身を開け放ち、私の内側の温かさを外側に向けて拡散させていって、私は、森と交流しようとしている。私の波動と、森の波動を同調させようとしている。私と森がお互いを抱擁しあおうとしている。交流や触れ合いを求めているという意味において、それは、他の項目と全く同じなのです。
あなたにおいては、どうでしょう?あなたがあなたであるために、あなたが望むもの、それについて、何を挙げましたか?多分、私と似たようなものを挙げたのではないでしょうか?あなたは、誰かを助けようとしていて、誰かを支えようとしていて、誰かの役に立とうとしていて、誰かを笑顔にしようとしていて、誰かと心の交流を持とうとしているのではないでしょうか?
優しさが内側からあふれ出して、あなたの外の誰か、外の何かを、抱擁しようとしている。あなたが望むものとは、とどのつまり、そのように表現できないでしょうか?
それは、あなたの魂の性質なのです。あなたが、あなたであろうとすると、魂が自然と浮上し、魂の慈しみが表現されていく。あなたが、あなたであろうとすると、あなたの魂は輝きが増すのです。
あなたがあなたらしくあろうとすると、別の観点においても、あなたの魂が輝きが増します。それを説明します。
あなたがあなたでろうとすると、あなたは、何がしかの抵抗にあうはずです。その抵抗とは、あなたの内側からの躊躇感なのかもしれません。例えば、あなたは絵が好きなので、芸術大学に進みたいが、合格できる自信がもてず、その躊躇感があなたの視点を普通大学に向けさせたりします。あなたがあなたらしくあろうとすると、あなたの内側で葛藤を経験します。
また、その抵抗とは、あなたの周りの状況や人の妨害や無理解なのかもしれません。例えば、あなたはこれまで専業主婦として、三歳の娘の世話をしてきました。かつてから好きだったペットに関する仕事をどうしてもやりたくなり、動物看護士になるために、専門学校に通うことにしました。あなたの夫も最大限支援してくれることを約束してくれました。昼間は娘を保育園に預けなければいけなくなりましたので、彼は、出来る限り娘の送り迎えしてくれると言ってくれました。
しかし、実際にあなたが専門学校に通い始めると、娘は保育園になじめず癇癪をおこし、たびたび、あなたは保育園から呼び出されます。そして、仕事が忙しいのを理由に、あなたの夫は、送り迎えを全くやってくれません。そのため、専門学校で欠席した授業が増えていき、予定通りに卒業できそうにありません。そうなると、あなたの目には、あなたの夫も、あなたの娘も、二人して、あなたの勉強を妨害しているように、あなたには思われ、フラストレーションを感じます。
それが内的な葛藤であれ(芸大に合格する自信がない)、それが外的な葛藤であれ(家族があなたに非協力的)、あなたがあなたであろうとすると、必ず葛藤を体験するのです。そして、あなたは、「許す」ことで、それを乗り切らなければいけません。
内的な葛藤で言えば、まず、芸大に行く自信が無く躊躇しているあなた自身を、あなたは許します。自信の無い自分を許す。あなたが自分に自信を持てないのが、あなたの親が常にあなたを批判しているのが原因であるのなら、あなたは親を許す。そして、仮に、本当に芸大に行けないのだとしても、普通大学に通いながら、絵画教室に通い、絵の道を楽しむことを許す。そのように、全て「許す」ことで、あなたは、あなたの絵の道を歩む。
上記の外的な葛藤の例で言えば、あなたは、フラストレーションを感じている自分を許す。娘や夫を許す。そして、娘を保育園に入れて彼女につらい想いをさせてしまったという罪の意識、その罪の意識を感じている自分を許す。効率的に勉強できなかったために、専門学校の卒業が遅れたことを許す。そのように、全て「許す」ことで、あなたは、動物看護士になる道を歩む。
「許し」は、魂の基本性質です。魂は、それをすることを望んでいます。それをするために存在しているのが、魂です。ですから、あなたがあなたであるために遭遇した、数々の葛藤、それらをあなたが「許す」と、それであなたの魂が輝きだすのです。
あなたがあなたであろうとすれば、それで、あなたの魂が輝きだします。それをご理解いただけたでしょうか?
第四節:あなたの魂の輝きが、父親の魂や母親の魂を輝かせる
あなたがあなたであろうとするのなら、それが、あなたの父親や母親にとって、どれだけの意味を持ち得るのか、想像できますか?
既述した通り、あなたの魂とあなたの親の魂は、魂の共進化のための同盟関係にあります。この同盟関係を、波動的に表現するのなら、あなたの魂と、あなたの親の魂は、回線で繋がった状態にあると言えます。どちらかの存在の肉体は消滅しても、回線はつながったままです。私が指摘しているのは、魂と魂の繋がりです。肉体と肉体の繋がりではありません。あなたの親が死んだとしても、魂同士の回線がつながった状態は維持されます。
あなたの親の魂が、今、肉体を持っているのかどうかに関わらず、あなたがあなたらしく生きて、あなたの魂が輝きを増すのなら、その閃光は、即座に、あなたの親の魂に伝わるのです。
ですから、次の点がとても重要なので、咀嚼してください。あなたがあなたらしくあろうとするのなら、あなたの魂は輝きを増し、親の肉体の有無に関わらず、彼の魂・彼女の魂の波動を引き上げます。彼らの魂も、輝きを増すのです。
それは、あなたの親へのとてつもない支援になります。あなたの親が最近亡くなったのあれば、上で述べたように、あなたがあなたであることで、あなたの親の魂をサポートするのなら、まず転生がスムーズになります。
転生にどれだけの期間を要するか(今生から来生の移行期間)は、非常にばらつきがありますが、今生が業が深いものであればあるほど、転生は難航します。通常は、3か月から6け月ほどで転生が完了するところが、5年、10年とかかることすら、あり得るのです。あなたがあなたであることで、あなたの親の魂の波動を引き上げるのなら、転生が数か月、ことによると数週間で終わるほどに、スムーズに進むのです。
あなたがあなたであることで、あなたの親の魂を支援するのなら、親の来生の意義深さが断然深いものになります。
既述した通り、魂にとっての親子関係とは、「許し」の機会という宝が隠された、宝の山のようなものなのです。それは、あなたの魂にとっても、宝探しであるし、あなたの親の魂にとってもそうなのです。あなたとあなたの親が、魂の共進化に臨むということは、両者の魂が一緒に、同じ宝の山に臨み、宝探しをするようなものなのです。
あなたがあなたであろうとする時、あなたは、あなたの魂と同調しますので、宝探しにおける魂の意図をかなり汲み取ることになります。そして、来生における、宝探しの出発点が断然、ゴールに近いものになります。
引き続き、宝探しの喩えで説明しましょう。宝探しのゴールとして、山頂に秘宝が隠されているとします。今、あなたがあなたらしくあることを、全く志向しないのなら、来生での宝探しの出発点が、山のふもとからになります。あなたがあなたらしくあることを、今志向するのなら、来生での出発点が、山の五合目あたりからになるのです。出発点が違うのですから、来生において、どれだけの地点にたどり着けるかも違ってきます。それすなわち、来生で、どれだけ「許し」を学んで、どれだけ「許す」ことがでるのか、その達成度合いが、ずうっと高いものになるのです。来生で、魂がより進化出来るのです、もし、今、あなたがあなたらしくあろうとするのなら。
光であるあなたの魂、それ自体がより輝きを増せば、進化の連携を組んでいる親の魂が、それに触発されて、輝きを増す。そして親の魂が輝きを増せば、更にあなたの魂の輝きが増す、あなたの魂とあなたの親の魂は、そんなポジティブな連鎖を望んでいるのです。
その鍵になるのは、あなたがあなたであろうとすることです。あなたは、それ以外のことをしようとしなくていい。あなたの魂は、それだけを望んでいるのあり、あなたの親の魂も、それだけを望んでいる。あなたがそれさえすれば、あなた自身とあなたの親を大いに助けることになります。
あなたの親が他界したのなら、あなたは、あなたの親を十分に奉仕できずに終わったことを悔やむはずです。しかし、魂の観点からすると、あなたは嘆いたり悔やんだりする必要は全くないのです。
まず、何より、あなたの親が亡くなったのであれば、それは、肉体を持った個人としての親子関係が終わったことだけを意味するのです。あなたの親が亡くなっても、魂としての関係は、これまで通り、何ら変わることなく、今後も継続されていきます。
そして、あなたが、生前、親にどれだけの物理的もしくは精神的な貢献をしたのか、そのことに、魂は関心を持たないのです。例えば、親を旅行に連れて行ったりとか、親に仕送りをしたりとか、親を孫(あなたの子供)とあそばせたりとか、そういったことを、重要だとは、魂は思いません。ですから、ある意味、それらを親に十分出来なかったという理由で、嘆くあなたを、あなたの魂は理解できません。魂の観点からすれば、あなたは親に何ら悪いことをしてませんので、あなたは、悔やむ必要は無いのです。
私が、親が死んでも、嘆いたり悔やんだりする必要が無いと言う時、それは、あくまで、魂の観点からそれを言っているのです。私は、あなたに、親が死んでも泣くなと言っているのではありません。親が死んでも、あなたの魂は悲しくなりもしませんし、動じたりしませんが、あなた個人の意識は、激しく動揺する、それは何ら問題はなく、それで自然な反応なのです。
親が死ねば、一人の肉体と、もう一人の肉体の関係は終わります。それは、この物理的なリアリティーにおいて、肉感的に親の存在を感じることが無くなるということです。それが、あなたという一個人にとって、どれほど、寂しく、悲しく、つらいことなのか。それが、筆舌に耐えがたいものではあるのは、言うまでもありません。
魂と同調している、私ですら、私の母が死ねば、私は泣き崩れることでしょう。それは、とても悲しい。魂と同調しているということは、加藤優、個人としての意識を失ったということではありません。私の存在における、個人の部分は、母が死ねば、泣くじゃくり、しばらく何も手につかなくなることでしょう。
しかし、私は、魂と同調しているがゆえに、母が死んでも、それで、私という存在と、母親という存在の間において、全ての関係が失われるわけではないことを、知っています。母親の肉体が消滅しても、私の魂と彼女の魂は、共進化を遂げようと、お互いに支援し合い、その支援を今後、何百年も続けようとするのです。
あなたという存在の根幹である魂、そしてあなたの親という存在の根幹である魂、その両者の関係は、今生を超えて継続されていきます。あなたの時間軸の観念を、魂に合わせて、ずうっと伸ばそうとしてみてください。あなたは、親子関係を、数十年のタイムスパンで眺めているがゆえに、肉体の消滅が全ての消滅だと感じ、親を失ったことに嘆き苦しむのです。魂のタイムスパン、永遠の視座で、親子関係を眺めると、親の肉体の死は、親子関係の終焉ではありません。それは、終わりではないのです。
あなたの魂とあなたの魂は共進化の過程にあり、共に進化の階段を昇っています。あなたに求められていることは、あなたがあなたらしくありことだけです。それさせすれば、共進化が加速されます。それがあなたがするべきことであり、心がけることであり、それ以外のことをする必要もありません。
あなたが親を失ったのであれば、泣いてもいい、苦しくてもいい、何も手につかなくていい。しかし、あなたがあなたらしくあることを、決して忘れないでください。あなたの魂とあなたの親の魂は、ただ、そのことを望んでいるのです。
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