エッセイ40 (2017年4月25日著)
あなたの幸せの答えは、あなたの内側にある。
私、加藤優、は、あなたが内側の精神世界を探索し、
その答えにたどり着くためのガイドである。
著者:加藤優
第二章:「癒える」と「癒えない」を分けるもの
あなたの内側にある、本性、本質、魂によって、あなたが導かれるとき、あなたは深い幸福を味わいます。いかにしたら、そんな状態になれるのでしょうか?その議論は、何が「癒える」と「癒えない」を分けるのかという議論と相通じます。本章では、何が「癒やし」を決定するのかという文脈において、魂によって導かれた状態と、そうでない状態を比較する議論をしようと思います。
例えば、同じ肺がん末期でも、奇跡的に助かる人もあれば、医学的予測の通り、癌発覚後数か月で絶命する人もいます。何が、助かる人と助からない人を分けるのでしょう?
多くの癌患者は、自然治癒力が鍵であると考えます。これ自体は、的を得ています。しかし、彼らの多くが犯すミステイクとして、彼らは、自然治癒力を肉体的生理学的プロセスに還元してしまう(矮小化・単純化して考えてしまう)ことがあげられます。
肉体的生理学的プロセスとは、例えば、塩分を取りすぎると血圧が上がるというような身体の反応を指しています。自然治癒力を向上させるということを、血圧が上がる反応と同列に見てしまうのです。
例えば、キノコ(例:霊芝、メシマコブ等々)のエキスは、T−細胞の活性化に寄与し、それで癌の縮小が期待できると言われています。このとき、癌患者は、キノコの何がしかの成分がT−細胞を刺激し、活性化されたT−細胞が癌細胞を食い尽くしていく、という風に、自然治癒力を物理的な過程として考えてしまうのです。
彼らは、「白血球の活性化」=「自然治癒力の向上」と考えています。この考え方が的外れなのです。
キノコ系機能性食品を摂取することで、T−細胞が活性化された状態を、「自然治癒力が向上した」と考えるのは、的外れです。そのように考えるのは、例えば、あなたが疲れたときに、コーヒーをがぶ飲みし、カフェインで目を覚まし、そしてその上、チョコレートをぼりぼり食べ、血糖値をあげて、一時的に活力がみなぎってハイパーな状態になった、そのハイパーの状態を、「健康で溌剌とした状態」とみなすことに相当します。
コーヒーとチョコレートで目がランランとした状態は、健康で活き活きしている状態では無いですよね?それと同じで、キノコ系機能性食品で、T−細胞が活性化された状態は、自然治癒力が向上した状態ではありません。
自然治癒力とは、あなたの生命力の一部が具現化されたものであり、「自然治癒力」=「生命力」と考えていただいてかまいません。すなわち、あなたがストレスもなく、溌剌としていながらも穏やかで、喜びに満ちて活き活きと、日々過ごしているのなら、そのとき、自然治癒力が最高に強化されるのです。
溌剌として活き活きしている状態で思い出すのは、小さな子供の日々の過ごし方です。叫びまわり、走り回り、身体中からエネルギーを発散させている、そんな状態にある子供は、自然治癒力が自然と高めれられるので、子供はあまり癌にかかりません。
ですから、あなたがもし、癌を患ったのであれば、あなたがまず問うべき問題は、「どのサプリメントを取れば、T−細胞を活性化出来るのか」にあるのではありません。
あなたが問うべきなのは、実は、「どうすれば、自分は、自分が子供の頃に体験していたように、損得勘定で動くのではなく、内側から沸々と喜々とした力が湧いてきて、その力で動かされ、嫌いなもののを嫌いと言い、好きなものを好きと言う、そして好きなことに打ち込み、毎日お腹の底から笑いがこみ上げてくる、そんな活気に満ちた日々を送れるようになるのだろうか?」ということにあるのです。あなたは、自分自身を見つめて、自分を活き活きさせる何かを探さなければいけないのです。
私は、2002年に父親が末期肺癌と闘病している間、末期癌から奇跡的に生還を果たした人達について、文献や面談を通じて、約100名ほどの心理的プロファイルを調べ上げました。その結果、生還者達に一つの共通項があることが分かりました。彼らは一応に、内面の著しい変化(性格、考え方、世界観、優先順位の付け方などが変化すること)を体験しています。
「癌であと数か月の命です」と宣告されて、彼らは、演繹的に自分を律しようとするのを止めて(世間の規範や常識に応じて、自分の言動を選択するのを止めて)、帰納的に自分を表現しようとします(自分の内なる声に耳を傾け、自分自身が喜びを感じることを許す)。
例えば、癌を患う前は、会社人間だった男性が、会社を辞めて、学生時代に打ち込んでいたサックスを手にして、ジャズバーで演奏を始めたりとか、都会に住んでいた人が、癌を契機に、田舎に引っ越し自給自足の生活を始めたりとか、家族の時間が持てなかった人が、家族を連れて日本縦断旅行に出たりとか。そんな風に、生還者達は、無理して頑張り続けるのを止めて、肩の力を抜いて、毎日をエンジョイできるようになっていきます。毎日を楽しんでいる内に、ごく自然に、自然治癒力が向上していき、気が付いたら余命宣告された期日を超え、癌を克服していたのです。
末期癌から生還した人達のほとんどは、癌を契機に、自分が自分であることを許し、そして、活き活きと毎日が過ごせるようになった人なのです。自分が自分として生き、その充実感を味わう、そんな喜びの副次的効果として、癌が治ったのです。
逆に、理性的に癌を乗り切ろうとする人は、癌に勝てません。「どんなサプリメントがいいのか?」と考えあぐねて、癌克服のストラテジーを、熟慮すればするほど、生命力を弱め、そして、自然治癒力を弱める、皮肉な結果が待ち受けています。
あなたの自我、理性、思考は、あなたの存在の本質・本性・魂と反駁します。なぜなら、あなたの魂が求めるものとは、直感的で感情的で、非理性的で非合理的で、あなたの思考はそれを受け入れられないのです。思考は生命力の敵です。あなたが考えれば考えるほど、あなたの生命力と自然治癒力は弱体化するのです。
誤解していただきたくないので、ここで注釈しておきます。私は、外部から薬品を摂取したりせず、何がしかの処置を受けること無しに、内面的にあなたが充実しさえすれば、ありとあらゆる病気を克服できると言っているのではありません。薬品や医学的処置を考慮すること自体は、間違いではありません。時にそれが必要になることもあります。しかし、あなたは大事なことを見失っているのです。あなたが病気になった時に、あなたの内面の状態があまりにもおざなりになっているのです。実は、あなたの内面の状態こそが、健康の鍵であるにも関わらず。
実は、あなたは、あなたの存在の根底にある本質、本性、魂から乖離した状態にあり、そのため、魂から生命力を十分受け取れず、それが病気の遠因となったのです。ですから、病気から快復するためには、生命力の源である魂に近づき、それを取り戻す必要があるということを、私は強調しているのです。それを取り戻すことが、あなたの生命力、ひいては、自然治癒力を活性化する、最も重要な核心を担っているのです。
ところが、多くの人は、忘れ去ってしまった本質、本性、魂を取り戻そうとはせずに、自分の内面を変革しようという発想にすらならずに、薬品や施術(例:鍼灸の施術)やライフスタイルの変換(例:食事を野菜中心にする)のみに心奪われるのです。それは、最も重要な核心を無視しておいて、二次的に重要なもののみを追い求めていることを意味します。
薬品や施術のみを注視し、自分の内面の状態を無視することは、それは、喩えれば、料理において、素材の品質を無視して、粗悪な腐りかけた材料を使っているのに、材料を変えようとせずに、味付けや調理方法にばかりこだわっている状態に相当します。味付けや調理方法(=薬品や施術)が、料理(=医療)において重要であるのは間違いありません。しかし、最終的な出来上がりを左右するのは、素材の良し悪し(=内面の充実)が最も重要と言っていいはずです。ですから、私は、薬品や施術の必要性を否定しているのはありません。あなたが病気にある時に、あなたは「癒やし」の原理を忘却し、核心を無視しようとしているのです。私は、それに警鐘をならしているのです。
本章での議論をまとめます。「癒える」と「癒えない」を分けるものは、自分の内面を見つめて、自分の本質を味わい、その本質が開花するように生きることが出来るかどうかにあるのです。自分の内なる声に、耳を傾けて、自分の内側から芳醇なる喜びがあふれ出すのを許して生きる、それが「魂に導かれて」生きることです。
次章でも指摘する通り、あなたの「魂」はあなたの生命力の源です。ですから、「魂」に導かれて生き、あなたの意識が常に「魂」に近接した状態で過ごすと、あなたの生命力は自然と強化され、健康に日々を送ります。逆に、あなたが、理屈や理性によって、自分自身を律しようとするとき、あなたは「魂」から逸脱します。「魂」を遮断すれば、生命力が減退し、不健康になります。ここであげた、「癒えるためのコツ」は、前章でも指摘した通り、それは「幸せになるためのコツ」でもあるのです。
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