エッセイ42 (2017年4月25日著)
あなたの幸せの答えは、あなたの内側にある。
私、加藤優、は、あなたが内側の精神世界を探索し、
その答えにたどり着くためのガイドである。
著者:加藤優
第四章: あなたが誰かを助けなければならないとき、あなたは答えを外側に探す。しかし、外側には答えが無い。
私は、ここでまの議論で、あなたはあなた自身の力によって癒えることを、強調してきました。あなたは、本来のあなた自身を取り戻すことで癒えるのです。外界から供給される薬品や施術で癒えるのでは無いのです。誰か別の人の力があなたを癒やすのでもありません。
この洞察は、重要な気づきをもたらします。あなたの周りで、あなたの愛する人が苦しんでいる時も、全く同じことが言えるのです。その人は、彼・彼女の本質・本性・魂を取り戻すことで、苦境や病いを克服するのです。彼・彼女は、彼・彼女の内側の力で癒えるのであって、薬品や施術で癒えるのではありません。薬品や施術は「きっかけ」なのであり、「癒える」か「癒えない」かを決定し得るものでは無いのです。
であれば、あなたは、その人をどうやって助けてあげればいいのでしょうか?最も肝心なのは、その人が彼・彼女の内面を見つめ、内面に深く意識を落とし込み、彼・彼女が魂を体験するのを、あなたが促してあげることです。あなたは、その人の意識が、その人自身の存在の根幹に触れてそれを味わうのを、ガイドしてあげるのです。その人は、あなたの案内により、自身の存在の神秘性に触れて、自身の奥底に広がる崇高な美しさに触れて、何かに怯えたり打ちひしがれたりする必要が無いことを自覚し、そして癒やされていくのです。
あなたが誰か苦しみにある人を助けてあげなければい時、何が一番大切なことか分かりますか?あなたは、その人がその人の内面の真実を体験するガイドであるべきです。であれば、あなたが、あなた自身の本質・本性・魂を体験していることが何よりも重要になります。山登りをしたことが無い人が、山登りのガイドとして、誰かを導くことは出来ないですよね?
ですから、あなたが、あなたの家族や友人を助けるとき、まず確認しなければいけないのは、あなたがあなたの存在の本質と共にあるかどうかなのです。あなたは、あなたの視線をあなたの内面に向けるべきなのです。あなたが「本当のあなた」と共にあるのであれば、その瞬間に、気持ちが落ち着いて穏やかな状態になれます。あなたが落ち着いた状態にあれば、あなたの家族が不安に怯えていても、その人を心理的に深く抱擁してあげることが出来ます。家族の誰かがパニックに陥ったとき、あなた自身は、そんな風に落ち着いた状態にあるのでしょうか?あなたの内面が穏やかで無いのなら、その人にとっての良きガイドとして、その人をその人の内側の穏やかさへと、導いていくことなんて出来ませんよね?。
あなたが誰かを助けるとき、まず、あなたはあなたの内面を見つめなければなりません。しかし、あなたは、そうしないのです。あなたは、あなたの内側を見るのではなく、あなたの外側に、その人を助けることが出来る、手段、方法、施術、言葉、薬、を探そうとするのです。あなたは、「○○を助けてあげることが出来る、何がしかの方法が存在するはずだ。私のやるべきことは、それを見つけて、○○に届けることだ」と信じて疑いません。このとき、あなたは、明らかに外界を見つめているのです。
誰かを助けるツールを外界に探すこと自体は問題ではありません。例えば、私の娘が転んで足をすりむいて出血したのであれば、私は止血し消毒する道具や薬品をまず見つけようとします。問題になるのは、この基本的考え方:「外界のツール(道具や技術)が、その人の問題を解決する」を、全てのケースにおいて当てはめようとすることなのです。ツールを探すのに外界を見ることが問題ではありません。外界だけを見つめていて、そこで得られるツールで全てが解決されると想定していることが問題なのです。
この点は、既に本エッセー第二章でも指摘しました。キノコ系機能性食品を摂取すれば、自然治癒力が高まり、癌が縮小していくという考え方が、いかに部分的で短絡的であるのかを、私は述べました。自然治癒力とは生命力そのものであり、生命力は内面の神秘性そのものであります。どんな免疫賦活剤を摂取するかが、生命力を決定しません。サプリメントは、生命力を決定し得ません。なぜなら、生命力の本質は、サプリメントによって変化する生理学的過程を、はるかに超越しているからです。自然治癒力を高めるには、外界を見つめるのではなく、内面を見つめて、内面を充実させなければならないのです。
キノコのエッセンスを摂取すれば自然治癒力が高まると考えることは、喩えれば、はげ山に植林さえすれば、その山の本来の美しさが取り戻されると考えることに相当します。山の本来の美しさとは、複雑な生態系の相互関係によって醸し出されます。風、日光、土、微生物、昆虫、そこにすむ動物、それらの相互作用が、全体としての美をつくり上げます。だから、「木さえ植えればいい」と考えるのは的外れです。それと同じように、「適当なサプリメントさえ摂取すれば、自然治癒力が高まる」と考えるのは、的外れです。しかし、あなたは、自然治癒力や生命力の神秘性を、外界での物理的プロセスに還元して(矮小化し、単純化して)考えてしまい、自然治癒力を高めるファクター(動因)が、何がしか外界に存在するはずだと期待し、それを探そうとするのです。
あなたが誰かを助けなければならない時も、同じエラーを犯します。一つ例を挙げて考察します。あなたのご主人が、仕事でひどい失敗をし、失業する可能性に怯え、意気消沈して帰宅したとします。彼は、ダイニングテーブルでうつむいたままで、食事に手をつけません。あなたは、彼を励ましたいと感じます。では、あなたは何をしようとするでしょうか?
あなたは、彼を励ます何がしかの方策を、あなたの外界に探します。例えば、彼の大好きなお酒のつまみ(例:長ネギとタコの豆板醤炒め)をパパッと作って、食卓に加えます。このとき、あなたは、彼を喜ばす物質的刺激(=料理)を外界に探していると言えます。
または、彼のムードを何とかアップテンポにしようと、ポジティブな言葉、例えば、「大丈夫、万が一、仕事を失っても、あなたならすぐに別の仕事を見つけられるわ。」というような言葉をかけます。このポジティブな言葉自体は、概念的・心理的なものなので、彼が喜ぶ料理(具体的な物質)のように形あるものではありません。
しかし、視点がどこを見ているかという点で議論すれば、あなたの視点は外界を向いているのです。あなたは、「仕事の機会は、世の中に十分存在している」と彼に伝えることで、彼を楽観させようとしています。この時、あなたは彼を楽観させることの出来る材料・話題・根拠を、外界に探していて、彼の注目も、外界のそれに向けさせようとしているのです。
または、彼を何とか笑顔にしたいと思い、今日、あなたが馬鹿笑いできた投稿ビデオを、あなたのスマートフォンで彼に見せてあげたりします。このとき、あなたは、彼を笑わせるきっかけを外界に探しています。
彼の大好物、新しい仕事をすぐに見つけられる可能性、笑いを喚起するきっかけ(面白いビデオ)、これらは、あなたの内面のリアリティーに存在するものではなく、あなたの外側に存在する何かです。これらが、彼のムードを変えるのにそれがしか役立つのは間違いありません。しかし、どれをとっても、彼の問題の本質には近づけないのです。むしろ、こられの外界の手段を探せば探すほど、問題の本質から遠ざかります。
彼の不安の本質は、仕事を失う可能性そのものにあるというよりは、仕事を失ったのであれば、自分の存在価値が無くなると感じている点にあります。一家の主として、収入を得ることを期待されているにも関わらず、それが出来なくなるのであれば、自分は価値の無い人間だと思えてならないのです。
自分に価値が無いと思えるとき、感覚的に過剰な反応が、彼の内側で発生します。彼は、あたかも砂漠の中で置き去りにされていて、見渡す限り人の気配がなく、どんなに助けを求めても、返事が聞こえてこない、そんな風に置き去りにされた絶望を、肉体的に感じてしまうのです。まるでそんな状況にあるかのように、強い失望を感覚的に感じてしまいます。
まるで砂漠の中で置き去りにされているように感じている彼が、本当に必要としているものは、何でしょうか?それは、誰かによって、彼が無条件に受け入れらているという「感覚」です。「自分に価値が無いのだとしても、誰かが自分の傍に味方として、自分を常に見つめてくれている」そう感じることが出来ることを、彼は無意識の内に望んでいるのです。まるで、柔らかいベルベットが産まれたての赤ん坊を優しく包み込むように、彼を常に抱擁し、彼を優しく受け入れている、そんな存在を身近に感じることができる、そんな「感覚」を彼は求めているのです。
誰かが彼を優しくかつ深く受け入れているという「感覚」を求めている彼に対して、いくら大好物な料理を作ってあげても、彼の心を満たしません。「味覚」は彼を喜ばせますが、「味覚」では「自分が受け入れられているという感覚」を喚起できません。
「仕事はすぐに見つかる」とポジティブな言葉をかけても、彼を深く満足させられません。「将来を楽観できる」気持ちは、必ずしも、「自分が認められているという感覚」を導き出しません。
投稿ビデオを見せて、二人で笑おうとしても、同様です。投稿ビデオの中のハプニングを見て感じる「愉快な気持ち」は、「自分が理解されているという気持ち」と異なるものです。
むしろ、あなたがどんなに努力を払っても、彼の心のニーズが満たされていないことを、彼自身が気づくと、あなたの無力さの原因が、彼の目には、あなたが彼の心のニーズを理解していないからだと映ります。自分の価値を認めてくれるのを望んでいる彼にとって、あなたが彼の心のニーズをくみ取ることが出来ないということ(あなたは彼をあまり良く理解していないということ)が、彼にとってあまりに酷であり、彼の失望や不安はかえって深まっていきます。
では、どうすれば、彼が求める「感覚」を得るきっかけを、あなたが与えることが出来るのでしょうか?それは、あなたがあなたの内面を見つめるかどうかにあります。
あなたが何をしても彼のムードを変えられないのが分かったとき、あなたもひどい不安を感じます。すなわち、「旦那が落ち込んでいるのに、うまく励ましてあげられないなんて、私は、ダメな奥さんで、私には存在価値が無い」と。あなたは、内面を見つめ、この不安を味わい尽くせばいいのです。あなたがあなたの不安を味わい尽くせば、とどのつまり、あなたも、彼のように、「人から、自身の存在価値が認められない恐怖」によって怯えていることが分かります。
この瞬間、あなたは、彼がなぜ苦しむのか、手に取るように理解し、そして、彼に対して深く同情的になれるのです。そして、次のような言葉が自然とあなたの口から出ます。「あなたは、いつも家族のために頑張ってくれているよね。あなたと知り合ってからずうっと、あなたは頑張ってくれている。私は、あなたの頑張りをいつも見ている。私は、それを知っているし、私達の娘も、あなたの努力を知っている。私の感謝が、あなたにとって十分では無いことが、悔しいし、はがゆいし、すまないと思っている。だけど、私は、あなたが頑張ってくれていることを知っている。それを伝えたい。」
「私は、あなたが頑張ってくれていることを知っている」この言葉こそ、彼が最も聞きたかった言葉です。この言葉が、彼の心の琴線に触れて、不安で潰れそうになっていた彼の心が、ぐわっと広がりだし、彼の胸の内側から、とても温かな感動があふれ出ます。
その温かさは、彼の内側を満たすだけでなく、あなたの内側をも満たします。この瞬間、あなたの心と彼の心は深く触れ合い、ふわっとあなた二人を同時に深い温かさが包み込むのです。この温かさによって包まれている(受け入れられている)という感覚こそを、彼は求めていたのです。この「温かさの感覚」によって、彼は砂漠で一人ぼっちにされていた絶望から救われます。
あなたと彼の間の心の触れ合いが、彼を救うのです。そのきっかけになるのは、あなたがあなたの内面を深く味わっていることです。心と心が触れ合い、二人の心の奥にある、人間としての本源的な温かさと優しさが、二人を同時に癒やすのです。あなたが、あなたの外界で見つけられる何か(例:彼の好物)によって、心の触れ合いは置きません。
ここで、次の二つの言葉の温度差を咀嚼してください。
あなたが彼のムードを高めようとしてかけた次の言葉:
「大丈夫、万が一、仕事を失っても、あなたならすぐに別の仕事を見つけられるわ。」
これは、そのように言えば、彼の不安を解消できるはずというあなたの計算から導き出された、あなたの頭脳の言葉です。あなたの「計算」を言葉に変換しているのであって、そこには、彼の心情への深い共鳴はありません。
それに対し、次の言葉:
「私は、あなたが頑張ってくれていることを知っている。」
この言葉が、その本質において、上の言葉と全く違うものであるのをご理解いただけますか?これは、彼の苦悩を骨身にしみて感じ取り、その時にあなたが感じたことを、そのまま言葉に表したのです。彼が誰にも認められていないという孤独感に震えているのを、あなたは感じ、あなたは自然に、「私は、あなたを見ている」という気持ちが自然と湧いてきて、それを言葉にしたら、上のものになったのです。こういった言葉をかけられるということ自体、あなたの心が彼に対して開かれていて、心と心が触れ合っていることを示しています。
繰り返しますが、あなたが誰かを助けたいのであれば、心と心の触れ合いがその人を救うということを、忘れないで下さい。
心と心が触れ合えたのであれば、あなたは、特段何かをしようとする必要は無いのです。つながった二つの心の内部で起きる「温かさ」の自然な動きによって、不安や痛みは自動的に消えていきます。あなたが外界に見出すことの出来る技術やツールや概念では、心と心の触れ合いを引き起こせません。あなたが、そのツールで、その人を救おうとすればするほど、心は触れ合えず、その人を救えないのです。
あなたは、あなたの愛する人が、どんな形で苦しんでいるのであれ、あなたはただ一つの考え方に固執します。「どこか、外界に、その人を救う手段が存在するはずだ」と。私が怪我をした娘のために、治療器具と消毒薬を探すように、外部に解決方法を求める、その態度を、全てのケースにおいて当てはめようとするのです。
あなたは、あなたの意識を、常に、既知で可視の形のあるリアリティーだけに向けていて、そこで解決方法を探そうとするのです。それは、誰が苦しんでいるのであれ、同じです。あなた自身が苦しんでいる時に、あなた自身を良い状態に改善するために、あなたは、外界(物理的リアリティー)に改善の答えを探そうとします。あなたの愛する人が苦しん出でる時に、その人を良い状態に改善するために、あなたは外界に答えを探そうとします。あなたが外界に答えを探そうとすればするほど、あなたの視点は魂とは180度逆の方向を向きますので、その努力の結果、あなたの内面にあるポテンシャル、神聖なる癒やしの力の源との接点を、あなたは失っていくのです。
あなたは、あなたの内なる神聖、神秘性の中に、自分を落とし込んでいって、その未知で不可視で形の無いリアリティーを味わい尽くすことで、あなたは自分自身を癒せるのであります。そして、本章で指摘した通り、あなたがあなたの内面の真実に触れることで、あなたはあなたの愛する人を助けることが出来るのです。どうか、そのことを忘れないでください
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