エッセイ44 (2017年4月25日著)
あなたの幸せの答えは、あなたの内側にある。
私、加藤優、は、あなたが内側の精神世界を探索し、
その答えにたどり着くためのガイドである。
著者:加藤優
第六章:エナジーヒーラーと気功療法師が醸し出す奇妙な技術至上主義
あなたは、あなたの内面の本質・本性・魂によって癒やされます。エナジーヒーリングや気功療法、アロマセラピー、その他の代替療法において、それらの療法の施術があなたを「治す」のでは無いのです。それらは、あなたが自分の力で癒える「きっかけ」や「助け」であるのです。
「癒やし」の主人公は、あくまであなた自身であって、主人公はヒーラーでもなければ、気功療法師でもありません。ここで言う「主人公」とは、治療方針の決定権があなたにあるという意味で申しあげているのではありません。あなたは、あなた自身の力で癒えるのだと言っているのです。「癒やし」を決定する何か重要な力が、あなたの内側に存在しているのです。
ところが、世間一般において、セラピスト達の間でも、クライアント達の間でも、エナジーヒーリングや気功療法などの代替療法について、過大評価がされるきらいがあります。
レイキや気功などの技術は、非常に効果的に、生体エネルギーのシステム(例:チャクラ、オーラ、経絡や経穴)の状態を改善することが出来ます。それは事実です。その事実から、「レイキや気功の技術によって生体エネルギー・システムの状態を改善すれば(「気」のめぐりが良くすれば)、心身の健康を得ることが出来る」という期待が産まれていくのです。
この、「レイキや気功の技術があなたを癒やす」という期待が高まれば、高まるほどに、あなたは、本来的な癒やしの姿(あなたの本質によって癒やされる)から乖離し、あなたは、魂から離れていきます。この意味で、レイキや気功療法は、クライアントを癒やしとは逆の方向に導きかねないのです。本章は、このことに警鐘を鳴らそうとしています。
一つ例をあげて考察しましょう。あなたの故郷のお母さんが重い病気に伏したのであれば、あなたは強い心配と不安を感じます。その不安は、例えば、ハートチャクラに黒い雲のようなエネルギーの塊として具現化されます。
レイキの高い周波数のエネルギーをハートチャクラに流すと、その黒い雲が、一時的ではありますが、解けて無くなります。この瞬間、あなたは胸のつまるような感覚も無くなり、穏やかな気持ちを取り戻すのです。この効果が、一時的なものであっても、劇的であるがゆえに、レイキ療法自体が、問題を解消する力を持ち合わせているかのように、何か特効薬であるかのように、世間一般では理解がされてしまいます。しかし、この理解は半分正解で、半分は的外れです。
半分正解であるという理由は、レイキや気功療法は、チャクラやオーラ、経絡での、エネルギーの流通を著しく改善することが出来る点にあります。あなたの感情の状態は、エネルギーシステムの状態とリンクしていますので、エネルギーの状態が改善されれば、感情の状態も改善されて、すがすがしい開放感を味わうのです。
しかし、あなたが、レイキや気功療法を、特効薬(英語では、magical bulletと表現されます)と考えるのなら、的外れです。なぜなら、レイキや気功療法は、パニックや不安の根本原因を解消出来ないからです。
引き続き、実家のあなたのお母さんが病気で倒れた例で説明します。あなたの心配の半分は自然で、もう半分は病的です。愛している家族が病に伏せば、心配するのは当然です。この自然な心配については、何ら問題ありません。問題があるのは、あなたの精神病的なパニックです。
あなたの精神の一部が、あなたのお母さんを、あなたの存在を保障する存在として、不可欠だと見做していています。そのため、あなたのお母さんが命を落とすようなことがあれば、まるで赤ん坊であるかのような非力さを自分に感じているあなたは、あなた自身の存在が危機にさらされると感じてしまうのです。お母さんが死ねば、私も死ぬことになるという恐怖を無意識のうちに感じてしまい、パニックになっているのです。
レイキや気功療法は、このパニックの影響をエネルギー的に、一時的に解消できるのですが、このパニックを引き起こしている根本原因までは解消できません。
喩えば、誰かが密室でタバコを吸ったために、煙くなり、不快になったとします。レイキや気功療法は、この喩えでは、窓を開けて風を循環させて、煙の影響を軽減させることに相当します。しかし、レイキや気功療法は、タバコの火を消すことまでは出来ないのです。タバコは依然として、火がついたままなので、部屋を汚染し続けます。
このタバコの火に相当する、パニックの源とは何なのでしょうか?それは、あなたが、あなたの本質、本性、魂を忘れてしまっていることにあります。あなたの意識が魂と乖離しているために、あなたは、自分自身をか細く、小さい、頼りない存在として感じてしまいます。
このひ弱な自己定義をもって、世界を見つめると、相対的に、自分:弱者、世界:強者というヒエラルキーを感じるようになり、世界とは危険な場所であり、世界があなたの敵で満ちているかのような脅迫観念すら感じるようになります。自分は脅威に囲まれているという感覚がありますので、あなたは、あなたを守ってくれる保護者を必要とし、その役割を、あなたの伴侶や親に投げかけます。ですから、あなたのお母さんが病気で死んでしまうかもしれないという可能性(その可能性がどれだけ低くても)が、あなたの頭をよぎった瞬間に、強い恐怖が喚起され、あなたはパニックになるのです。
繰り返しますが、このパニックは、あなたが魂から乖離しているために、起きているのであって、あなたが、レイキや気功療法で、どれだけその影響をクリアにしても、それが完全に解消されることはありません。あなたが魂との融合を得ない限り、あなたは、パニックの中に居続けます。
あなたがあなたの魂と融合された際には、このパニックは消滅します。あなたは、あなた自身が無限で永遠の存在であることを確信します。あなたの母親に、あなたの安全を保障する役割りを期待する必要がなくなります。あなたの魂から見ると、あなたの母親は、あなたが愛を仕向ける対象でしかないのです。あなたへの保護を要求する対象ではなくなるのです。
太陽が、地球上の生き物が病んでいようが健やかであろうが、毎日変わらず、優しい日差しで全ての存在を暖めてくれるように、あなたの魂は、あなたの母親が健康であろうが、病気であろうが、毎日変わらない、慈悲の光で彼女を照らすだけです。そんなあなたの魂が、あなたの存在の中核に座し、あなたを誘導するのであれば、彼女の病いの知らせをあなたが聞いても、自然な反応として心配をすることはあっても、パニックには陥りません。
ですから、私が再三指摘している通り、「本質的な癒やし」とは、あなたが魂と融合した時に、自動的に発生するものなのです。あなたは、その魂との融合を目指すべきなのです。それは、あなたのあり方の変換で得られるものであって、生体エネルギーの技術を駆使して得られるものではありません。
残念ながら、世の中の大多数のセラピストや気功療法師は、無意識の内に、上記の世間の風潮(レイキや気功の技術がクライアントを癒やすという過度な期待)に加担します。彼らは、レイキや気功自体に、クライアントの問題を解決する力があると考えて、自らの技術を磨くことばかりに専心します。エナジーヒーラーであれば、とあるシンボル(ヒーリングエネルギーを導入するおまじないのようなもの)と別のシンボルを掛け合わせてみたりとか、気功療法師であれば、自分の意識を集中して、気を流す訓練を積みます。
それらの訓練は、技術を高め、磨かれた技術が、クライアントの苦痛を和らげますので、それら自体は尊いものであると言えます。しかし、巨視的な観点からは、セラピストの技術偏重は、上記の世間の風潮(「技術が私を救う」という信仰)を強化することになり、かえって皮肉な結果をクライアントにもたらします。セラピストの技術偏重は、クライアントの目を技術に向けさせ、クライアントの外界に目を向けさせ、クライアントは、自身の魂からもっと離れていくのです。
ここで、ヒーリングのバイブルとも言える、世界的に著名なヒーラーであるバーバラ・アン・ブレナンの名著、Hands
of Light(邦訳;「光の手」)から、彼女の言葉を紹介しましょう。
“Healing is opening the doors of perception
so that one can enter into the Holy of Holies. Enlightenment
is the goal. Healing is a by-product.”
- Barbara Ann Brennan
加藤による意訳:「ヒーリングとは、あなたが『知覚のドアを開く(open the doors
of perception)』ことで、(注:禅でいうところの、既知なるものを全て捨てて全く新しい考えを受け入れられる精神状態になること、善も悪も全てを受けいれらる状態になること)、あなたが、最も神聖なる状態へと移行していくことである。悟りの状態(enlightenment)があなたの目標である。あなたは、悟りを開く過程を通じ、その過程の副次効果として、あなたは癒やされるのだ。」
―バーバラ・アン・ブレナン
悟りの副次的効果として癒やしが得られるとする彼女の主張は、私が強調していることと全く同じであります。あなたが、あなた自身の内面に深く入り込み、自身の魂を見つけ出すことで、あなたは深い癒やしを得るのです。
魂と融合して、「本質的な癒やし」が発生した結果として、生体エネルギーシステム(チャクラ、オーラ、経絡)が柔軟で、クリアで、健全なものになります。生体エネルギーシステムの健全性は、あなたが一人の人間としての全体性と本質を取り戻した結果なのです。ですから、生体エネルギーシステムを改善することを手段として、あなたが本源的で全人格的な解放(すなわち、本質的な癒やし)を得ようとすることは、ある意味、本末転倒とすら言えるのです。
私は、次のことを強調します。結局のところ、人間の奥にある本質、魂との触れ合いが人を救うのであって、技術が人を救うのでは無いのです。技術が人を救うと信じるようになると、視点が魂から離れていってしまいます。「技術が人を救うのではない」という私の主張は、第八章と第九章で再度議論しますので、そちらもご覧ください。
技術に頼ることなく、あなたが内的世界のガイドとして、困苦にあるあなたの愛する人を、その人の魂へと導くにはどうしたらいいのでしょうか?次章(第七章)と次々章(第八章)において、私がどうやって、クライアントが彼女の魂と融合するのを助けているかを、ご紹介します。
第七章へ
|