エッセイ46 (2017年4月25日著)
あなたの幸せの答えは、あなたの内側にある。
私、加藤優、は、あなたが内側の精神世界を探索し、
その答えにたどり着くためのガイドである。
著者:加藤優
第八章:加藤が提供しようとするもの Part2:魂への委譲
では、どうやって、私は、あなたの意識があなたの魂に融合されるのを促すのでしょうか?その端的な答えは、魂の本来的な性質にあります。
まず、ご理解いただきたいのは、あなたが魂に融合され、常にその無限性と永遠性を感じている状態が、あなたにとって自然であるということです。あなたの自我が芽生える前は、あなたは無限性と永遠性の中にあり、恐怖とは無縁の状態にありました。
自我が芽生えて、自我が魂に反駁する(魂を遠方に追いやろうとする)ために、あなたの意識は魂と乖離して、魂からのエネルギーや知恵を受け取れなくなり、己の死の恐怖に怯えるようになったのです。自我の存在がありとあらゆる恐怖と不安の源であります。
あなたが自我を自分自身だと感じている現在の状態は、大多数の人はそのように感じるので、それを異常な状態だとは呼べません。しかし、それは、あなたにとって本来あるべき状態ではないのです。あなたの意識が魂から分離された状態は不自然であるがゆえに、あなたの精神のどこをとっても、顕在意識も、無意識も、魂も、融合された自然な状態へ戻ろうとしています。まるで、大地に降り注いだ雨が蒸発して大気に戻るように。
現在の、自我が魂から乖離した状態にあっても、あなたの魂は、あなたの意識を、魂の中心へ招き入れようとします。この誘導を、次のように喩えることが出来ます。あなたが渡り鳥であるとしましょう。あなたの魂は、常に一定の方向に風を吹かせ、あなたがどちらに飛べば、ラクに飛べるのかを知らせします。そして、あなたの魂は、あなたの無意識の領域に、声にならない声で囁きかけます、「北に飛び続ければ、あなたはあなたの故郷にたどり着く」と。
あなたが、その魂の導きに従い、あなた自身をその導きに完全に委ねれば、両者の距離は縮まり、魂があなたの意識の表面に浮上化し、あなたの顕在意識を柔らかく抱擁し、あなたは魂の中へと融合していきます。あなたが、本当に渡り鳥であるのなら、そういった導きに従うことができるのですが、人間で自我を有しているあなたは、それが出来ません。
魂の導きは、自我からすると、あまりにも頼りないものなのです。渡り鳥の喩えで言えば、魂から受け取るのは、「北へ飛べばいいのかな」と何となく感じる、その漠然とした感覚だけなのです。自我にとっては、何の根拠もなく、その感覚に従えば生まれ故郷に着くという保証もありません。地図もありませんし、コンパスもありません。そして、あなたは、生まれ故郷まで飛んで帰ったという経験もありません(まだ飛んで行ったことが無い、新米渡り鳥だと仮定します)。自我はそれを自殺行為だと考えます。飛び続けていった先に餌となるものがあるかどうかすら分からないのですから。
あなたの魂は、あなたを、本来あるべき姿である、あなたの意識が魂と融合された状態に、常に導こうとするのですが、あなたの自我が常にそれに抵抗するために、その状態へと移行できないのです。
そこで、私の出番と相成ります。私は、私の自我の抵抗を超越しています。そのための訓練を10年以上積みましたので。私の意識は、自我に束縛されていないので、意識の置き所を自ら選ぶことが出来ます。私は、自分の意識がどこにあるのか、感じ取ることが出来ます。自我の中にあるのか、魂の中にあるのか。魂から意識が逸脱した際には、それにすぐに気づいて、意識を魂の中心に戻すことが出来ます。私の意識は、おおむね、常時、魂の中に溶け込んでいます。
あなたが何がしかの困窮にあり、あなたが私との個人セッションに臨むのなら、次のような課程を経て、あなたはあなたの内面深くに潜り込み、魂と接触します。
私は、まず、私の個人の意識を私の魂の中に落とし込み、私の個人性を消去します。この瞬間、私は、個人加藤優としてあなたと会っているのではなく、単に一つの「いのち」として、あなたに接しています。そして、あなたの意識が、私の存在の全てに触れることを可能にします。もし、あなたが望むのであれば、私の潜在意識ですら眺めることが出来るほどに、私は、私自身を開け放つのです。
あなたが、私の精神の奥底を覗こうとする必要はありませんし、私も、それをあなたに見せつけようとなどとはしません。ここで強調しているのは、私があなたとのセッションに臨んでいる最中は、私は何もかもを包み隠そうとしていないということです。もし、あなたが望むのであれば、私の考え、感情、記憶の全てに、あなたが触れることが出来るほどに、私は、自分自身をオープンにしているのです。
そして、私は、あなたのあるがままを認めて、あなたが私に対して何を想っても、友好的に感じようが、敵対的に感じようが、あなたの感じることの全てを一切拒絶しないで、受け入れます。私とあなたの間において、私は、何に対しても一切抵抗しない、という状態に入ります。
その状態の中で、私は、私自身の魂と融合していきます。この私自身の本質(魂との合一)を、あなたにとっての手本となるように、あなたに提示するのです。既に上で述べたように、私は、あなたに対して私の全てが開示されている状態にありますので、私が、魂との合一を、あなたに見せようと意識することもなく、それはあなたに対してさらされていきます。
私にとっての自然な状態(本質、本性、魂を取り戻した状態)とは、あなたにとっても自然な状態です。ですから、私の自然を見て、あなたの自然も喚起されていきます。
それは、ちょうど、ダイニングテーブルに私とあなたが座っていて、私が食事を始めたのなら、あなたも自動的に、「ああ、今は、食事をする時間か。じゃあ、私も食べ始めるとするか」と感じるようなものです。私の意識が魂の中心へとダイブするのを目の当たりにして、「じゃあ、私もダイブするか」とあなたは思うようになります。赤ん坊が、親がスプーンでスープを食すのを見て、それを真似て、スプーンを使いだすように、あなたは魂との接触を始めるのです。
このとき、私の魂とあなたの魂が自動的に協調し始めます。二つの魂は、あなたをより調和のとれた状態に導こうとするだけでなく、私をもより高みへと導こうとします。二つの魂が追い風を吹かせますので、どちらに飛んでいけばいいかがより明確です(意識をどこに落とし込んでいけばいいかが、明確に分かる)。
渡り鳥が生まれ故郷の北の土地まで何度も飛翔したことがあるように、私は魂との融合を何度も体験しています。ですから、私は、どうやって、魂の追い風に乗ればいいかを、実演によりあなたにやってみせ、あなたの側を離れず、一緒に空を飛ぼうとするのです。あたかも、あなたの夢の中で私が現れて、私が手を差し伸べて、一緒に飛ぼうと誘っているかのように、あなたは感じます。
一人であれば、風にのって千キロ以上離れた最果ての北の土地まで行くのを躊躇していたあなたも、私と二人であれば、不安感も薄れ、あなたは、あなたの魂が吹く風に乗り、本来のあなたの状態へと近づき始めるのです。その課程で、あなたは、本当の自分を見て感じ、深い内面の変化が発生します。最終的に不安や恐怖が霧散していきます。
私があなたを治すのではありません。私は、あなたが魂と融合されるための手本となるように、参考資料になるように、私の霊的本質をあなたに開示するのです。
これは、ある意味、私の存在の根底にあるあなた自身(魂の根底では、全ての存在の意識が折り重なっている)を、あなたに見せる課程であると言っても過言ではありません。あなたは、私の根底にあなた自身が存在するのを感じて、あなたが自分の身体を超えて存在していることを実感するのです。
それをきっかけとして、あなたの意識は、自然と拡張していきます。なぜなら、無限に広がっているのが、あなたの意識にとって自然な状態だからです。あなたの意識は、その本来的な状態に戻ろうと、全ての方向へ拡散していきます。そして、あなたは、あなたが自身が無限の存在だと感じるのです。
正直なところ、私は、このプロセスを何と呼べばいいのかが分かりません。これは、チャクラやオーラの状態の改善を目指す、エナジーヒーリングや気功療法とは全く違います。私の魂は、私を本来の状態へ導き、そして昇華しようとする(無限で永遠の魂が、無限性をも超えた、永遠性をも超えたより高次の状態へと移行しようとする)。私の存在の本質と、あなたの存在の本質が、手をとりあい、そして、二つの魂が、より高みへと昇華しようとする。その移行において、あなたは、本当のあなた(True-Self)と巡り合い、そしてそれを取り戻すのです。
第四章「あなたが誰かを助けなければならないとき、あなたは答えを外側に探す。しかし、外側には答えが無い。」において、私は、あなたが誰か他の人を助けたいのであれば、あなたはあなたの内面を見つめ、あなたがあなたの本質との融合を深めるのであれば、その人との間で心と心の触れ合いが自動的に発生し、お互いの本質が交流し、二人が同時に癒やされていくことを指摘しました。
本章は、クライアントの個人セッションにおいて私が何を行っているのかを説明することで、第四章の論点を補強しようとしています。
あなたが愛する人(伴侶、子供、親、親友、等々)が苦しんでいるのだったら、その人をどう助けたらいいのでしょうか?この問いを別の言葉に置き換えると、「あなたの愛する人が、その人の内面の真実に触れるには、あなたは何をすればいいのか?」というものになります。なぜなら、苦しみの中にある、あなたの愛する人は、その人が自身の存在の本質に触れることで癒やされるからです。
本章により、その答えを提示したのです。まず、あなたは、あなたを「無」の精神状態に置き、あなたはあなたの存在の本質に触れて、それを味わい尽くします。そして、あなたの愛する人に向けて、あなたの内面の全てを開示します。その人が、あなたの内面の全て(全ての考え)を味わえるほどに、あなた自身を開け放つのです。あなたは、その人に対して、何も隠さず、何も抵抗しません。全てを開け放つのです。そうすると、あなたの内面の本質の光が、その人に降り注ぎだします。
既に指摘した通り、あなたがあなたの魂と融合した状態が、あなたにとって自然な状態であります。あなたがあなた自身の内面を、あなたの愛する人に開示したとき、その人は、あなたの「自然さ」に触れます。そして、その人も「自然な状態」に戻ろうと喚起されるのです。あなたの「自然さ」に触れて、その人も「自然な」状態になろうとします。その人の内側で、その人の本質、本性、魂が浮上して、その人は癒やされていきます。
ここで、私が再三、このエッセーのテーゼ(主題)として訴えているように、「触れ合い」で人が癒えるということを、咀嚼してください。薬や施術が癒やすのでは無いのです。あなたが、苦しいとき、あなたは、あなたの存在の根幹・本質に「触れて」、あなたは癒やされていきます。あなたの愛する人が苦しいのであれば、あなたの心とその人の心が通じあい、あなたの存在の本質とその人の存在の本質が「触れ合い」、あなたの魂とその人の魂が「触れ合い」、あなたとその人が共に、最も自然な状態に移行すると、あなたもその人も同時に癒やされて、その人の状態が好転していくのです。
我々一人一人の存在の内側に、とても大切な何かがある、とても尊い何かがあり、それはとても愛おしいものであり、それは優しく温かい、あなたは、それに触れると、あなたの内側がそれで満たされていき、癒やされていく。あなたと愛する人との間で、心の「触れ合い」が起きて、お互いに通じ合うと、そのとても尊い何かが、二人の内側に満ち溢れていき、二人が同時に癒やされていきます。
我々の内側にある、その大切な何か。それを、何と呼べばいいかは、問題ではありません。本質、本性、魂、存在の根幹、内なる神聖、百人人があれば、百通りの呼び方があります。呼び方は問題ではない。しかし、我々は、我々の内面の真実によって癒やされることを、どうか、ご理解ください。
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