最新エッセー(大作!):スピリチュアルな洞察が、どのようにあなたの生活の役に立つのか?

あなたは自身の存在の本質を知ると、抱えている問題自体を解決していないにも関わらず、問題を超越することで、その苦しみから解放されます。本稿は、その過程を説明するものです。
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エッセイ51 (2017年11月9日著)

スピリチュアルな洞察が、どのようにあなたの生活の役に立つのか?

認識を一新することの考察:「それ自体」を知ることで、

苦しみから解放されるのは、何故なのか?

著者:加藤優


第三章:スピリチュアルなアプローチとは何なのか?Part 2
スピリチュアルな洞察の核心その2:あなたという存在は、何者からも何ら影響を受けないほどに強固で巨大なものである

第一節:“You can’t be attacked.”

ジーザスは、あなたという存在の本質について、こう言います。
“You can’t be attacked.”
彼が言わんとしていることは、次のことです。本当のあなたとは、無限に広がった雄大な存在なのだ。その大いなる存在であるあなたが、一体何を気に病む必要があるのか?

サバンナの象が、ウサギに蹴られたら、象はそれを脅威に感じるだろうか?優雅に泳ぐシロナガスクジラが、イワシに「のろま」とバカにされたら、クジラは怒りだすだろうか?体長1メートル(翼の開長が3メートル)のコンドルが、体長6センチのハミングバードから「お前なんか嫌いだ」と言われたら、コンドルは意気消沈するのか?それぞれの大いなる存在は、小さき者が何をしたところで、一切気にかけたりはしない。

それと同様に、あなたという大いなる存在は、誰があなたに対して何をしても、何を言っても、侮辱され得ないし、圧倒され得ないし、攻撃され得ないのだ。すなわち、あなたは、「被害者」というものになり得ないのだ。あなたが苦しむのは、単純に、あなたという存在の本質を忘れてしまっていることにある。であるから、その本質を思い返せば、あなたは苦しみから解放される。

本章は、あなたという存在の本源的価値は、ただただ素晴らしいものであり、それが未来永劫不変であることを、指摘することを最終的に目指しております。しかし、本章の議論そのものは、逆説的に進めていきます。存在の本源的価値を忘却して、自分自身の存在を誤解していることが、どのようにあなたを苦しめるのか、そのメカニズムについて主に説明します。それをご理解いただければ、その誤解を解消し、あなたの存在の基盤を知ることが、苦しみを超越することになることを納得いただけるはずです。

実は、あなたは、あなた自身を正しく認識できていません。あなたは、無意識の内に、あなた自身を、本来の姿より、小さく、非力で、か細く、頼りない存在だと定義しています。つまり、本当のあなたとは、鋼(はがね)で出来ているにも関わらず、あなたは、あなた自身が豆腐できているかのように錯覚しているのです。この錯覚が、前章に加えて、あなたが苦しむ二つめの原因であります。


第二節:あなたのあなた自身への認識が、あなたが幸福か不幸かを決定する。

あなたが、あなた自身を小さくて非力な存在だと認識していることは(これは、実は誤認識なのですが、それが誤認識であることに、あなたは気づいていません)、あなたに多大な苦しみを与えます。自己認識や、あなたが自分に抱いているイメージ、それがあなたが幸福であるのか不幸であるのかを決定し得るのです。それはなぜでしょうか?

なぜなら、我々は、脅威を相対的に認識するからです。例えば、現金千円を路上に落として失うことを考えてみましょう。あなたが、ボーナスが出た直後で、財布が潤っているときは、千円を失うぐらいは、全く気にかかりません。同じ事件について、あなたが失業中で、ここ数日ろくに食べ物を買うことも出来ない時に、全財産である千円を失ったらどうでしょう?事件の深刻さが全く違って感じられます。

あなたが、そもそも、潜在的にあなた自身を小さくて非力な存在だと感じているのだとします。そして、あなたに何がしかの困苦(病気、失業、別離、etc)があなたを襲っているとします。このとき、上の段落で指摘したように、その困苦があなたにどれだけの意味を持ち得るかは、あなた自身と困苦の比較で決定されます。「あなた vs 困苦」という関係性において、あなたはあなた自身を矮小だと定義しているが故に、その困苦があなたに比してあまりにも巨大に感じられます。あなたは自分自身が、その困苦により蹂躙されてしまうように思えてしまうのです。

喩えれば、あなたはあなた自身をアリのような存在だと思っているがゆえに、あなたに降りかかる困苦が、まるで巨大な象のように、あなたの目には映ってしまうのです。その困苦が客観的には、大したものではなくても、その困苦が実は客観的にはロバ程度の大きさのものだとしても、あなたの目には、それが猛々しく怒り狂ってあなたに突進してくる象のようなものに、映ってしまうのです。そして、あなたは深い恐怖や苦しみの中へと陥ります。

例えば、世の中には、自分の職業を変えることに恐怖を感じる人がいます。その仕事がどれだけ劣悪な労働条件(例:超過勤務)を強いてきても、どれだけ非倫理的な仕事(例:詐欺行為)を要求してきても、その仕事を辞めて、別の仕事を探せないのです。この際たる例が、仕事上の悩みで自殺する人や、過労死してしまう人(自分の健康が破たんする前に仕事を変えることが出来ない)です。

職場での自殺や過労死の原因として、一義的には、それほどまでに従業員を追い込んだ雇用者や上司、または、職場の雰囲気に問題があるのは間違いがありません。が、しかし、自らの命を断った人の心理メカニズムに焦点を当てるのなら、その人の自己認識が自殺の遠因にあると言えます。自分自身を潜在的に小さく非力に決めつけているがゆえに、その人にとっては、自身の力で勤務に関する問題を解決するのには、あまりにもその問題が巨大すぎるように感じられるのです。このことを、以下に解説します。

多くの人にとっては、勤務上の悩みを理由に自殺する人を、心情的に理解できないかもしれません。「自殺するぐらいなら、仕事辞めたらいいのに」と。その心情を理解するのは、難しいかもしれませんが、ことの他、意外と仕事上の問題で自ら命を断つ人は多いのです。厚生労働省の統計によると、日本において、2016年中、自ら命を断った人は合計で22,082名にのぼりました。このうち、勤務問題が理由だと判明しているケースが1,978名。これは、他の自殺原因と比較して、勤務問題は全体で2番目の割合(8.9%)を占めます。自殺した人の11人に一人が、仕事上の悩みで、自身の命を断った計算になります。

大手広告会社「電通」の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が2015年のクリスマスに住んでいた寮から飛び降り自殺を図り死亡した事件は、記憶に新しく、また、上記の文脈において象徴的な出来事であります。高橋まつりさんは月に130時間の残業をせざるを得ない状況にあったとのことで、生前より、知人に「死にたい」とぼやいていたそうです。

ここで、自殺者の心理メカニズムを考察してみましょう。我々がここで問うべき問題は、「確かに自殺した人を追い込んだのは雇用者かもしれないが、なぜ、その人は、自身が追い込まれてしまうのを許してしまうのか?」というものです。換言すれば、なぜ、嫌なことを「イヤだ!」と宣言できないのか、という問いです。

自殺する人や、過労死に至る人の心理プロファイルは、一般的には、次のようなものになります。厳格な親もしくは批判的な親の下で育てられ、親には逆らえないという雰囲気の中で成長してきたために、自尊心が健全に育まれませんでした。「親にとって、私なんてどうでもいいんだ」と、自身を蔑む想いが、深層心理に刷り込みされてしまいます。自身を、小さく、か弱く、脆弱な存在だと、思い込むようになります。

自分自身を無意識の内にそのように定義するようになると、次のような問題が発生します。「自分自身」と「自身が置かれた状況」の相対関係を、自分自身を矮小であると思っているからこそ、その状況を巨大なものに感じるようになるのです。ですから、その人は、「自分の力では、自分の居る状況は変えられない」と思い込むようになります。そのような人は、状況それ自体に立ち向かうということをしません。状況の内側で努力を重ね、その状況がつらいものになっても、その状況の中で我慢を続けようとします。

そして、このタイプの人は、自身と他者の人間関係も、同様にとらえます。自分自身は矮小であり、他者は巨大であると、無意識に思い込むのです。「自分の力では、他者は変えられない」と思っていますので、自分が必要とする物を、他者と交渉して引き出すことがとても苦であり、不得意になります。このタイプの人は他人に尽くすのは得意だけれども、他者に自分自身への施しをお願いするのが、あまり快適ではありません。

このタイプの人は、世間では、優等生として見做されます。愛他的で自己犠牲的に、家族や地域、会社に尽くしますので、一般的には、「いいひと」だと考えられます。そのように見られるのも当然です。このタイプの人は、他者が推奨する価値観の内側、もしくは他者が準備してくれたレールや枠組みの中で、自身の活路を見出そうとするからです。

自身にどんな期待が投げかけられているのか(=自分がどんな枠組みに収められているか)を素早く察知し、その期待に応えようとします(=その枠組み内で最も適した行動をとろうとする)。親や先生の言うことををよく聞く、大人の目から見て、心配の要らない子供のような従順な性格を持ちます。親を喜ばそうと、勉強をがんばり、一流大学に進み、一部上場企業に勤めるような、いわゆる「レール」に乗り、その「レール」の上で努力をし、「レール」内で成功を収める、そういった人生を歩もうとする人は、まさにこのタイプに分類される人であります。

このタイプの人にとって問題になるのは、「枠組み」からはみ出したり、「枠組み」を壊したり出来ないということです。親が提示した価値観やレールをはみ出せないというケースは、枚挙にいとまがありません。二つほど例をあげましょう。まず、一つ目。あなたが成人し結婚後、あなたの親が二世帯住宅を建てて、あなたに同居をせまってきました。あなたは本心では同居したくないにも関わらず、別居したいとは言えずに、同居に同意します。二つ目。あなたは革靴職人に成りたいも関わらず、実家が病院を営んでおり、あなたは病院の跡取りとして、医大に進学するよう親から指示されています。あなたは、それに逆らえません。

このタイプの人は、「枠組み」そのものがその人に苦痛をもたらす場合、それを解消するのが苦手です。「枠組み」そのものが苦しみの原因であるときに、その「枠組み」を解体することで、自らを苦しみから解放することが出来ません。

例えば、上記の親との同居のケースで説明します。あなたが夫であるとしましょう。あなたが嫌がる妻をなんとか説得して、あなたの親と同居生活を始めたとします。あなたの妻とあなたの親は仲が悪いので、彼女は、ストレスにさらされ、不満をあなたにぶつけてきました。あなたと彼女は毎日口論をするようになり、夫婦関係がすさんできました。親との同居生活を始める前、あなたと彼女が二人で生活していた時には、夫婦関係が良好でしたので、今般の夫婦関係の緊張は、親との同居生活が原因であるのは間違いありません。

ヒトは、「困難」に直面し苦痛を味わった際、その「困難」そのものを解決するのが難しいような場合は、その苦痛を埋め合わせようと、何がしかの成功体験を欲するようになります。端的に言えば、つらい時には、何かいいことを体験したくなるのです。さて、親と同居することで、夫婦関係がギスギスとしてきたという「困難」に直面したあなたにとって、何がその「いいこと」なのでしょうか?

優等生として、親が用意してきた「枠組み」に乗っ取って生きてきたあなたにとって、その「枠組み」の内側で、親の期待に応えて、親から承認されることが、あなたにとっての喜びです。あなた自身がつらい時に、あなたは、親から褒められたいと、思うのです。そして、あなたの親は、同居生活がうまくいくことを望んでいます。ですから、この期に及んで、あなたは、更に妻に我慢することをお願いし、何とか同居生活を継続しようとします。

こうして、あなたは悪循環に陥ります。嫁と姑の対立というストレスにさらされたあなたは、あなたにとっての「快」を求めます。上述した通り、あなたにとっての「快」は、親から褒められることです。同居がストレスの原因であるにも関わらず、何が何でも妻を説得して、同居を成立させて、親からの賞賛を得ようとするのです。

すると、妻は、あなたとあなたの母親が連携して、妻に敵対しているように見えますので、妻はより強く孤独を感じます。それが原因で、あなたの母親にもっとつらくあたるようになり、嫁と姑の間の緊張がもっとひどいものになります。最悪、妻が書置きを残して蒸発するような事態に発展するのです。

勤務上の自殺や、過労死は、同様の悪循環の結果なのです。その人が過酷な労働を要求され、ストレスにさらされた場合、その人は当然、「快」を求めます。その人にとっての「快」は、「良くやった」と褒められることです。「レール」に乗って、「レール」で成果を上げて、先生や親から褒められることを、無上の喜びとしてきた、その人は、「枠組み」の中でがんばろうとするのです。会社という環境において、仕事を今よりももっとがんばって、褒められようとします。そして、悪循環に陥ります。仕事でストレスにさらされれば、もっと仕事に努力を払うようになります。そのせいでストレスが更に高まり、更に仕事に打ち込むます。ストレスにさらされれば、さらされるほどに、仕事に精を出します。最後は、燃え尽きて、自殺するか、身体を壊してしまい、最悪死にいたるのです。

このような悪循環に陥る根本原因は、その人のその人自身に対するイメージ、その人がその人自身をどう認識しているかにあります。上記のような、苦しみの底なし沼に陥る人は、例外なく、自分自身を、小さく、脆弱で、無能だと思っています。そう思っているがゆえに、他人や社会が設定する「枠組み」の中で、成果をあげることで、他者から評価を受けようとします。評価を受けることが出来るのなら、それが、あなたという存在に価値があることの証拠のように、思えて安心できるのです。

換言すれば、あなたは、あなた自身を無価値な人間だと、無意識に信じているのです。であるがゆえに、あなたは、あなた自身に価値があるように思いたい。そう思えるのは、他者が評価してくれるときです。他者は、「枠組み」の中でがんばった人を褒めます。学校では、学校という「枠組み」の中で、学業をがんばった生徒を、先生はほめる。会社では、会社という「枠組み」の中で、業績をあげた職員が、上司から褒められ、給与や賞与でほうびを受ける。「枠組み」の中でがんばった人が褒められるという、社会の営みを観察してきたあなたには、「枠組み」の中でがんばることこそが、得策のように思えます。そして、あなたは、他者の期待に応えようと、遮二無二に、努力を払うようになります。

あなたが、他者の期待に応えようという動機の奥に、「私は無価値だ」という恐怖が潜むのです。


第三節:あなたは、他者のあなたへの評価が、あなたの価値を決めると誤解している。

あなたが、あなた自身を、小さく、非力で、無価値だと思うのなら、それは誤認識です。あなたは、なぜ、あなた自身を正しく知覚できないのでしょうか?

あなたがあなた自身を誤解している原因の一つを次のように説明できます。そもそも、あなたは、「価値」とはどのように決定されるのか、「価値」の基準について誤解しているのです。あなたは、物事の価値は、他者からの評価で決定されると、無意識のうちに思い込んでいます。多くの人が「欲しいと思う」もしくは「素晴らしいと思う」、そのように評価を受けたモノが、価値の高いものだと思っています。

あなたが、そう思い込むのも無理はありません。なぜなら、我々が住む世の中は、そのような価値決定のシステムで運営されているからです。それは、民主主義そして資本主義のことです。民主主義とは、どの政策を採用するのか、どの法律を採用するかを、多数決で決定するシステムのことです。過半数の有権者もしくは代議員が評価した案が、採決されるのです。資本主義的な経済システムでは、貨幣と商品の交換比率、貨幣とサービスの交換比率が、需要と供給のバランスで決定されます。絵画のオークションが、まさに資本主義のシステムを代表するものです。とある絵を欲する人が多ければ多いほど、絵の価格が高騰していきます。このようなシステムの中で産まれ育った、我々は、いつからしかか、多数の人から評価を受けたものが、価値が高い、と思うようになったのです。

多数の人から評価を受けたものが、価値が高い、と考えるのは、必ずしも正しくはありません。違いますか?例えば、ピカソの二つの絵画を比べてみましょう。「アルジェの女たち」は、2015年のオークションで約200億円で落札されました。それに対し、同じくピカソの「ドラ・マールと猫」は、2006年のオークションで、約125億円で落札されました。この落札価格の差は、絵画そのものの美しさの差を反映しているのですか?「アルジェの女たち」のほうが、「ドラ・マールと猫」より美しいと言えるのでしょうか?いえないですよね?

政策決定においても、多数決で可決された政策が、否決されたものより、本質的な意味で優れたものだと言えるのですか?例えば、1995年の都知事選で、世界都市博覧会中止を公約にした青島幸男氏が170万票獲得し、博覧会開催を公約とする石原信雄氏(130万票獲得)を破り、都知事に就任し、公約通り博覧会を中止にしました。本当に中止することが、より多くの都民や国民のためになったのでしょうか?

売れている絵がいい絵ですか?ゴッホなどは、彼の作品は、彼の生前全く売れなかったといいます。であれば、彼の作品は全て駄作なのですか?売れている曲がいい曲なのでしょうか?行列のできる飲食店が、本当においしい皿を出す店なのでしょうか?行列がなくても、有名でなくても、おいしい料理を出す店はいくらでもありますよね?

とある対象の、本源的価値は、他者からの評価が決定するものでは無いのです。それはお分かりいただけますか?本源的価値とは、「美しさ」とか、「尊さ」とか、「心地よさ」とか、「徳」とか、「善」のことです。夕焼けの美しさは、誰かがそれを批判するのなら、その美しさは損なわれるのですか?例えば、あなたが5人のお友達と一緒に、湖畔で夕焼けを見ているとします。そして、彼らが異口同音に、「私、夕焼けって嫌い。一日の終わりって寂しい感じがする」と言うのなら、あなたも彼らと同じように、夕焼けを嫌わなければいけないのですか?違いますよね、あなたはこう思うはずです。「この夕焼けは、誰がなんと言おうと美しい」と。

個々の人間の本源的価値、存在意義、尊厳というものは、夕焼けの本源的価値と同じで、「誰がなんと言おうと、素晴らしいもの」なのです。あなたという人間の本源的価値は、他者の評価で決まるものでは無いのです。しかし、あなたは、あなた自身の価値は、他者からの評価で決まると信じて止みません。そのように錯覚するのは、何故なのでしょう?以下に、他者の評価が、いかに、あなたの価値観に影響を及ぼすのかを述べます。

あなたの親友に書道家が居るとします。彼が、最近、大作を仕上げました。縦横2メートルの大きな黒字の和紙に、白のインクで、「星」と書いたのです。何か天空の星が、地上のあなたに迫って来るような圧倒感を感じ、あなたは、その作品の美しさに感嘆 しました。彼は、その作品を毎日書道展に出典するとのことです。あなたは、その作品をいたく美しいと感じていましたので、グランプリである文部科学大臣賞を得るのは間違いないと思っていました。その後、展覧会の結果を聞いて、あなたは驚きます。漢字部門の秀作(全体の四等)を得るにとどまったとのことです。審査員は、彼の作品に高い評価を与えなかったのです。

あなたがいたく気にいっていた彼の作品が、今では、違ってみえます。「それがグランプリを取るような作品では無かったのだ」と思った瞬間に、なんだか、その作品が色あせて見えるのです。これは、不思議な現象です。

展覧会に出典する前と後で、彼の作品自体のクオリティーには、全く変化はありません。「それ自体」の美しさは変わっていないのです。しかし、展覧会の結果を受けて、あなたの脳内で、「それは実は大した作品ではないのだ」という印象を得ると、あたかも、作品の質が実際に劣化したかのように、あなたには感じられてしまうのです。

これこそが、前章でも指摘した点です。展覧会の前、あなたは、何の前提もなく、彼の作品に向き合い、「それ自体」を味わい、「それ自体」の美しさに感動します。しかし、展覧会の後、あなたの内側で、「それは実は大した作品ではないのだ」という偏見が、あなたの脳内で芽生えると、その印象を通じて作品を見つめます。それで、作品の質が損なわれたかのように感じるのです。展覧会の後、あなたが見つめているのは、その作品「それ自体」なのではなく、あなたの脳内に浮かんでいる、その作品に対する「印象」を見つめているのです。展覧会の後、その「印象」は悪いものに変わりましたので、あなたの作品に対する感じ方も変わっていくのです。

それでは、ここで、あなたがなぜ、あなた自身を小さく、非力で、無価値な人間だと、無意識の内に信じ込んでいるのか、その理由をまとめます。あなたは、民主主義・資本主義の社会で産まれ育ったために、いつからしかか、他者の評価が、物事の価値を決めると誤解するようになりました。あなたは、他者があなたを評価してくれるのなら、あなたに価値があるのだと、考えています。そして、あなたは、これまでの人生で、どちらかというと、良い評価を得ずに育ってきました。良い評価を受けなかったのは、あなた自身に価値が無いからだと、あなたは判断し、それを信じるようになるのです。

あなたの成長過程で良い評価をあまり受けられなかったのも無理はありません。なぜなら、世の中全体が、子供達を叱咤する形でしつけ・教育をしようとするからです。「こんなんではダメだ」とか「これでは不十分だ」とか「今のままではダメなんだ、だからもっと努力しなさい」と、子供を戒めます。あなたのこれまでの人生で、褒められたことと、注意されて怒られたことと、どちらが多かったですか?幼少期に注意されてばかりであったために、「私が褒められない(=評価を受けない)のは、私が実際に無価値で、ダメな人間だからだ」という想いが、あなたの潜在意識に刷り込みされます。

一度、あなたの内側で、「私はダメ人間だ」という印象、思い込み、前提が出来上がってしまうと、あなたは、あなた自身を、常に、その印象を通じて見つめるようになります。あなたは、あなたという存在「それ自体」を見つめているのではなくて、脳内にある「私はダメ人間だ」というイメージを見つめているのです。

上記の書道の展覧会の例でも指摘した通り、「星」という作品がグランプリを逃したら、とたんに、その作品が色あせて見えてしまうのは、あなたは、作品「それ自体」を見つめているのではなくて、「それが駄作だ」という脳内の印象を見ているのです。それと同じように、あなたが、あなたの脳内の印象を通じて、あなた自身を見つめる限り、あなたは、あなた自身をダメな存在として感じ続けます。


第四節:燃え尽き症候群を克服するには?

あなたがあなた自身を、無意識のうちに、小さく、無力で、無価値な人間だと思い込むようになると、実生活でどんな弊害が出るかは、仕事で自殺する人の心理状態の解説で述べた通りです。自分自身を小さく感じていますので、あなたの日常で発生した困苦が、相対的に巨大なものだと感じられます。あなたには、その困苦そのものを、自分の力で解決できるとは思えません。

そこで、困苦の原因そのものを解消する(例:過酷な労働を要求してくる会社を退職する)のではなく、「枠組み」の中で努力する(例:会社という枠組みの内側で業績をあげようとする)、すなわち、あなたは自分に期待されていることを、もっと全うすることで、苦しみを軽減しようとします。他者から評価されて快感を得ることで、苦しみを少しでも緩和しようとするのです。問題そのものを解決するのではなくて、感覚的な「快」の刺激を摂取することで、苦しみを忘れようとします。

それは、喩えれば、切り傷を負ったときに、傷そのものを治療するのでは無くて、チョコレートを食べて、その快感で、しばし傷の痛みを忘れるような試みです。どんなにチョコレートを食べても、結局、痛みの原因は解消されずに、傷はうずき続けます。そこで、あなたはチョコレートを食べ続けるのです。チョコレートの恒常的な過剰摂取、その先に、何があなたを待っているかは言うまでもありません。肥満、高脂血症、糖尿病、虫歯、等々。

チョコの食べ過ぎに悪影響があるように、あなたが「枠組み」の中で評価を得ようと努力を続けると、あなたには、深刻なレベルで疲労が蓄積されます。あなたがどんなにがんばっても、あなたが十分に満足できるだけの評価を受けることは無いのです。あなたは、ただひたすら、枠組みの中で努力を重ねるのです。結果、あなたの心身は燃え尽きて崩壊します。

また、前章でも指摘した通り、そもそも、自分自身を無価値だと思い込むことは、痛烈で壊滅的な恐怖を、あなたの心の深部から呼び起こします。あなたにとって、あなたが「無価値である」ということは、「誰もあなたの価値を認めてくれない状態」のことです。「誰も認めてくれないということ」は、「あなたの属する集団に適合できていない状態」を意味します。集団生活を営む本能を有している人間にとって、それは、死を意味するのです。無価値であり続ければ、あなたは自分が死んでしまうと、無意識の内に感じてしまいます。ですから、自分が生き残るために、何が何でも、他者から評価を受けようとします。あなたは、何がしかの枠組み(例:家庭、会社、奉仕活動のサークル、教会、等々)の中に、身を投じ、そこで、多大な努力を払い、誰かしかから褒められようとするのです。

あなたの幼少期、あなたは、家庭という枠組みの中で、両親に褒められたくて、がんばってきました。学校という枠組みでは、先生や友達から褒められたくて、がんばってきました。青年期、恋人関係という枠組みの中で、恋人から褒められたくて、がんばってきました。高校の部活、大学のサークル活動、そこでも、周囲から認められたくて、あなたはがんばってきました。社会人になると、上司や同僚から認められたくて、粉骨砕身で努力してきました。あなたが結婚し、子供ができると、家庭という枠組みの中で、認められたくて、家庭に尽くしてきました。一言で言えば、あなたは、この世に産まれてからこのかたずうっと、褒めてもらうために、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって来たのです。

あなたは、あなたの周囲の人に貢献し続けてきて、彼らは確かにその恩恵を得ています。しかし、あなたは心情的に報われません。なぜなら、あなたが心底満足して、「ああ、皆が私を認めてくれている」と溜飲が下がる想いをして、胸のつかえがとれて、心が完全に晴れ晴れするようなレベルで、他者から評価を受けることが無いのです。それは、他者があなたを評価してくれないという意味なのではなく、あなたの内側での期待値(=私はこれだけの評価を受けたいというレベル)が天井知らずに膨張し続けるので、いつまでたっても、あなたは満足することは無いのです。そして、あなたは、引き続き、周囲の人へ貢献して、認めてもらおうための努力を重ねて、重ねて、重ねるのです。

この傾向が、ご理解いただけますか?例えば、あなたは、あなたの親に孝行しようと、それがしかの努力を払っているはずです。が、これまでに、「あー、僕のおかげで、両親は十分に幸福だし、僕は十分親孝行であり、もうこれ以上は何もする必要がない」と、心の底から、あなたの孝行度合について、満足したことはありますか?無いですよね?違いますか?あなたは、むしろ、「両親は、今苦しんでいる。僕が出来ることがもっとあるはずだ。もっと、もっと、僕は孝行しなければいけない」と思って、更なる努力を払おうとしているはずです。

他者に認めてもらうために、多大な努力を払い、どんなに努力を重ねても、満足することが無いので、努力を継続する。そして、最終的には燃え尽きてしまう。この崩壊の例を挙げるに、枚挙にいとまがありません。例えば、燃え尽きて、ひどい不眠症になり、睡眠薬無しでは一睡もできない、家庭の主婦がそうです。家族から存在価値を認めてほしくて、家族のために自己犠牲を払い、尽くして尽くし続けるのですが、彼女が心底満足できる評価は得られません。特に、子供が成長し独立した後は、評価を得るために努力する、その努力の向けどころを失い、どうしていいか分からなくなり、パニックに陥ります。

この負の連鎖を断ち切り、抜け出すためにはどうしたらいいのでしょうか?世間では、あなたの努力をアシストするアイデアや機会が提供されています。あなたが会社で業績もっとあげられるようにするためのセミナーや書籍、それらは、無数にあふれています。例えば、「ハーバードビジネススクール流、チームビルディングセミナー」(どうやって、課員の動機を上げるのかについてセミナー)とか、女性に向けた起業セミナーであるとか、そういった類のものが多数提供されております。これらは、あなたが「枠組み」の中で成果をあげるのには、役に立つのです。

しかし、それらは、あなたの努力を助長するものでしかすぎません。これらのセミナーは、あなたの心の内側で燃え盛る「私は努力しなければ、誰からも認められない」という恐怖の炎に、油を注ぎこそすれ、その炎を鎮火したりはしません。むしろ、こういったセミナーに参加すればするほど、「努力に努力を重ねても、私は認められない。だから、私はもっと努力する」という負の連鎖を、更に強化することになるのです。

では、この負の連鎖について、スピリチュアルなアプローチは、どのようにあなたを助けようとするのでしょうか?ジーザスや仏陀、そして彼らに深く同意する私は、あなたに次のメッセージをあなたに投げかけます。

そもそも、あなたがあなた自身について抱いている、イメージ、自己了解、自己認識、それが間違えている。あなたは、自分自身を、小さく、非力で、無価値な人間だと思っている。しかし、本当のあなたとは、無限の精神である。無限に広がり、全宇宙ですら抱擁する精神が、いかにしたら矮小になり得るのか?あなたという精神は、宇宙ですら飲み込める大きな袋なのだ。それをどうして、小さいと思う必要があるのか?

しかも、あなたが無価値であるというのは、そもそも、あり得ない話なのだ。例えば、太陽の存在価値というのは、誰かが太陽を非難したからといって、損なわれてしまうものなのか?誰が、太陽について何を言おうが(例:「紫外線は、肌の天敵!」)、太陽、それ自体は素晴らしい。それと同じように、あなたという存在の本源的価値は、あなたの周囲の者が、あなたに何を言おうが、あなたは素晴らしい存在だ。誰が何を言おうが、あなたは素晴らしい。あなたの存在価値は、何者からも影響を受けたりはしない。

あなたは、あなたという存在「それ自体」を見つめていない。あなたは、あなたの脳内で描かれた「私はダメ人間だ」というイメージを見つめている。脳内で恣意的に創生された幻想をみているのだ。幻想をみて、その幻想を真実だと思い込んで、「あー、やっぱり私はダメ人間なんだ」と納得している。それがいかに滑稽なことなのか、理解できるだろうか?

あなたは、脳内のイメージを見つめるのはなく、あなたという存在「それ自体」を体験すればいいのです。それは、前章でも指摘したとおり、あなたがあなた自身を理解するときに、理性的な思考を通じて理解しようとはしてはいけないのです。頭脳を通じて、あなた自身を理解するのではなくて、全身を動員して、髪の毛一本一本ですら動員して、爪にもそれを感じさせるかのように、あなたの全身に、あなたの存在をまるごと感じさせようとするのです。あなたの五感も全て動員し、第六感すらも使い、あなたの感性を最大限に高めて、あなたがあなたの全てを感じるのを許すのです。

そうすると、かつては、あなた自身があたかも狭い独房に閉じ込められていたかのように、何か目に見えない力が、あなたをがんじがらめにしばりつけていたかのように、あなたには感じられていたのですが、その個々の縛り付けている力が、全て幻であることが分かり、そのあなたを「縛りつける感覚」が自然に霧散していきます。あなたは、あなた自身が大きく拡散していくのを感じます。それは、あたかも、あなたの肉体が、実際に大きく膨らんでいくような感覚です。手を伸ばせば、空の雲にも手が届くかのように、あなた自身の存在が拡大します。

そのように、あなたが、あなたという存在「それ自体」を体験してもらえれば、仏陀やジーザスが指摘するように、あなたは、あなた自身が無限の存在であることを、骨身に染みて、実感するようになります。そうなれば、あなたは、「誰が私をどう思おうが、そんなことはどうでもいいや」、「私は、誰の顔色をうかがう必要もない」、「誰も評価してくれなくても、私という人間は素晴らしい」と、感じられるようになります。

そして、「他の人から認められないのなら、私は生きている価値が無い」という恐怖が霧散します。あなたは、これまでは、あなた自身を救うために、他の人に尽くして評価を得ようとしてきたのですが、その病んだ動機がなくなります。「認められないなら、私は生きていけない」という恐怖を超越した後は、あなたは、単に、周りの人の笑顔が見たくて、彼らに尽くすようになります。彼らに褒めて欲しいから、彼らに尽くすのではなくて、純粋に彼らが幸せになって欲しいから尽くすのです。

こうなると、人間関係が穏やかで円滑になります。かつて、あなたは、認めてもらえないときは、彼らに怒りを抱いていました。「私は、あなたのためにこんなに頑張っているのに、なぜ、あなたは私を認めてくれないのか!」と。そんな怒りが存在しなくなるのです。そうなれば、人間関係が、ただただ、温かく慈愛に満ちたものになり、あなたは深い幸せを味わっていきます。


第五節:“Nothing’s gonna change my world”

ここで、前章でも取り上げた、あなたの息子さんが授業に集中できないがゆえに、特殊学校に編入せざるを得なくなるかもしれない、そのケースをとりあげます。前章では、あなたがその事態を正しく認識できていないことを指摘しました。本章本節では、あなた自身とその事態の関係性について、あなたは間違って認識していることを、取り上げます。すなわち、最悪の事態が発生した場合、あなたは彼の人生が終わるだけでなく、あなたの人生も終わってしまうかのような、過剰反応をしています。しかし、それは誤認識なのです。

その誤認識を解消して、心の穏やかさを取り戻すためには、これまでに何度も指摘した通り、あなたは、あなたという存在「それ自体」を感じる必要があります。それを、どのような過程を経て感じることが出来るのか、あなたの息子さんのケースを通じて解説します。

あなたは、次のような最悪の事態が起きると予期します。もし、あなたの息子さんが、今の学校に残れず、特殊学校に編入せざるを得ないのなら、そこで、彼は質の高い教育を受けられずに、望む大学にも、一流企業にも就職できない。ブルーカラーの仕事にしかありつけず、彼はうらさびれた人生を歩んでいく。彼が家庭を築いたとしても、彼の収入が安定していないがゆえに、家庭内で常に口論が絶えず、家庭はすさんでいく。

その最悪の事態が、本当に起きるかどうかは、現時点では「分からない」のです。しかし、あなたは、心情的には、あたかもそれが今、起きているかのように感じ、あなたは恐怖で震えあがります。なぜ、あなたがそこまで恐怖を感じるかというと、あなたには次のように感じられるからです。

あなたは、彼の人生が失敗に終わるのなら、あなたの周りの人は皆、あなたを「戦犯」として、後ろ指さすだろうと、感じるのです。

あなたは、あなたの親が次のようにあなたを批判するだろうと、感じます。あなたの母親があなたにこう言うだろうと。「お前(=あなた)は、自分の子供も満足に学校を出させられないなんて、母親失格だよ。親はね、子供にできるだけ素晴らしい教育を施さなければいけないんだよ。お前を大学出すのに、私(=あなたの母親)がどれだけ苦労したか分かるかい?私がお前にしてあげられたことを、お前はお前の子供にしてあげられないんだから、お前はダメな母親だよ」と。

あなたは、あなたの夫が、あなたをこのように批判するだろうと、恐れます。夫は、あなたに対してこう言うだろうと。「育児と子供の教育は、全部お前に任せたきたよな。お前(=あなた)の管理下で育った結果、息子の人生は失敗に終わったのだから、息子の不幸は全て、お前のせいだ」。

そして、あなたは、あなたの親や夫だけでなく、世間もあなたを、「母親失格」として批判するだろうと感じます。そして、あなたは戦慄に震えあがるのです。既に指摘した通り、誰もあなたの価値を認めてくれないという事態は、あなたにとっては、社会的な「死」を意味します。人間は観念的な生き物ですから、社会的に抹殺されることは、物理的・生物学的にも抹殺されるように感じられてしまいます。すなわち、あなたにとって、「母親失格」の烙印を、皆から押されるのであれば、あなた自身が本当に死んでしまうように感じて、震え上がるのです。

あなたは、あなた自身が生き残るために、何がなんでも最悪の事態(=息子さんが特殊学校に編入し、その後の人生が破たんする)を避けようとします。そのために、腕にものをいわせてでも、息子さんの態度を強制的に変更して、彼が今の学校に残れるようにしようとします。しかし、あなたのこの高圧的な態度は、事態を悪化させます。なぜなら、既に指摘したとおり、そもそも、彼が授業に集中できないのは、彼が、「自分が居るべき場所にいない」と感じ、不安の中にあるからです。不安を感じている彼に、彼の敵として、あなたが彼に臨むのであれば、彼の不安が増強されます。そして、あなたが彼の態度を変えようとすれば、変えようとするほど、彼の不安が増し、もっと授業に集中できなくなり、もっと上の空になるのです。あなたが、なんとかしようとすればするほど、事態が悪化するのです。

では、そんな状態にあるあなたを、スピリチュアルなアプローチは、どのように助けるのでしょうか?その過程について、あなたが私との個人セッションに臨んだのであれば、私がどのように、あなたを誘導していくかを言及することで、その過程を示します。

私とあなたのゴールは、あなたが、あなたという存在「それ自体」を体験することで、本当のあなたの姿とは、あなたがこれまでに思ってきた自画像よりも、ずっと広大で雄大であることを実感してもらうことにあります。そのゴールに至る前に、まずは、あなたのパニックを沈静化する必要があります。あなたの状態を非常にぶっきらぼうに表現すれば、あなたは、「息子の人生が滅茶苦茶になれば、私の人生も滅茶苦茶になる」と感じてパニックになっているのです。このパニックを沈静化するのに、私は、次のようにあなたを誘導します。

仮に、最悪の事態が現実になったとして、それが、一体どんな影響をあなたに与えるのか?それを、ゆっくりと丁寧に検証してもらいます。

最悪の事態が現実になるとは、このケースで言えば、あなたの息子さんが特殊学校に行くことになり、大学にも行けず、大手の企業に就職もできず、彼が定職にもつかず、うらさびれた、ならず者になるのが現実になるということと、その結果、あなたの周囲の人の全てが、あなたを「母親として失格」と批判することが現実になるということです。

そういったことが起きたら、それがあなたにどんな影響を与えるのでしょうか?実は、あなたは、何ら影響を受けないのです。それがご理解いただけますか?それを信じられますか?

私と一緒に、それを検証してみましょう。

まず、あなたの物理的リアリティ、すなわち、あなたの身体の状態、あなたという存在の空間的広がり、それらは、最悪の事態が起きたとしても、何ら変化はありません。そうですよね?息子さんが大学に行くのに失敗したら、あなたの腕がもげるのですか?彼が定職につけなかったら、あなたという人間の容積が半分になったりしますか?

あなた自身の身体、または、あなたという存在の広がりは、あなたの息子さんの状態がどんなものであれ、誰かしかのあなたへの批判がどんなものであれ、不変であります。

次に、あなたの精神的リアリティー、あなたのムード、思考、感情、記憶、そういったもの、これも実は、最悪の事態が現実になっても、ある意味、変化を受けません。息子さんが不幸せな人生を送ることになれば、彼の苦しみを感じ、あなたの胸も痛くなりますし、悲しくもなり、息子さんの苦境を変えられないことに苛立ちを感じ、あなた自身に対して怒りを感じることでしょう。あなたのムードや感情はうねっていますので、あなたは、精神的に物凄い影響を受けたように感じます。

しかし、あなたの精神は何ら影響を受けていないのです。愛する息子さんが不幸であるという事態を受けて、あなたの感情はざわめき波うちます。さて、この状態は、あなたの精神という海が、息子さんの不幸という台風の襲来を受けて、高波が発生しているような状態です。普段の凪の状態(精神的安寧)と、この高波の状態(感情的起伏)の両者を比べれば、その状態が大分ちがいますから、あなたは、あなた本来の状態を失ったように感じます。しかし、高波がたったからといって、海が海であることを辞めたわけではありません。

精神が海水で出来ているのなら、息子さんの不幸を受けて、その海水がシャッフル(攪拌)されているだけなのです。シャッフルされてますが、その海水が、油になったりしたわけではありません。台風が来たからといって、海の全ての水が、地球の外に吹き飛ばされてしまって、地球上の海が枯渇し、海底の岩が全てがむき出しになるということはありません。海は海であり続けます。台風が通過したからといって、ある意味、海は何ら影響を受けていないのです。

最悪の事態がおきたら、気持ちや感情が大きくうねりをあげますが、息子さんが大学いけなくなったからといって、そのせいで、あなたの過去の記憶が消失したり、息子さんが定職につけなかったら、あなたの精神領域の大半が消えてなくなったりはしません。気持ちという水が攪拌されたからといって、水が水であることを辞めたわけではないのです。息子さんが、あまり幸せでない人生を送ったのだとしても、あなたがあなたでなくなるわけではないです。

あなたは、「私の夫が、ダメな母親だと、私に愛想を尽かし、離婚することになるかもしれない、そういう影響があり得る」と、私に反論するかもしれません。だから、最悪の事態が起きた際に、あなたが何の影響も受けないと考えるのは、おかしいと。

しかし、結局同じことなのです。これがお分かりいただけますか?あなたが夫との離婚を恐れるのなら、「離婚」を最悪の事態のリストに追加して、上記の検証をやってみてください。息子さんの人生がダメなものになり、それをあなたの夫が批判し、夫があなたを見捨てた、そうなのだとして、あなたのリアリティの何が変わるのですか?あなたの物理的リアリティも、精神的リアリティも、実は何も変わりません。

あなたの夫がいなくなれば、収入が減り、今住んでいる家を出ることにはなるかもしれません。例えば、東京の家から、札幌の家に移らなければいけないのであれば、それは大きな変化だと、あなたは考えます。

確かに、あなたの生活空間は変わりますし、気候や風土も変わります。しかし、「あなた自身の」リアリティ、「あなたという」リアリティには変化が無いのです。あなたという存在を、映画の映像だと想像してください。あなたの住む家とは、映画館のスクリーンであり座席に相当します。あなたという映画を上映するのに、それを東京の新宿の映画館で上映するのと、札幌の映画館で上映するのと、何が違うのですか?映画、そのものは、何ら変わらないですよね?あなた本人は、何も変わらないのです。

東京から札幌に引っ越したり、一軒家からアパートに引っ越したりすれば、確かに生活環境は変わりますが、だからといって、あなたという人間が別の存在になったりしないですよね?引っ越したら、女性であったあなたが男性になったりするのですか?一軒家からアパートに移ったら、その瞬間、あなたの思考がリベラルから保守に変わったりするのですか?

最悪の事態が離婚を招いたとしても、あなたという存在のリアリティは変わらないのです。それがお分かりいただけますか?

それでもなお、あなたは、反論を続けるかもしれません。夫がいなくなり、収入が減れば、生活のレベルが下がる。例えば、それまでは、毎年一度ハワイに旅行していた。収入が下がれば、4、5年に一度しかハワイに行けなくなる。これは、物凄い影響がある、とあなたは訴えます。しかし、それを言ったところで、同じことです。それがお分かりいただけますか?

ハワイへの旅行の頻度が下がったからといって、あなたは、全く別の存在になったりしないですよ。ハワイへ行かなくなったら、これまで二つあった耳が、一つになったりするのですか?ハワイに行けなくなったら、突然、ピアノが弾けなくなったりするのですか?ハワイに行けなくなったら、突然、物覚えが悪くなったりするのですか?生活のレベルが下がったとしても、あなたは、あなたであることには何ら変わりがないですよ。

あなたがお望みであれば、この議論を永遠に続けてみてください。しかし、結論は常に一緒です。何か深刻な事故や事件がおきたとして、何が変わるのかというと、あなたの周りの環境(例:住む家)が変わるだけで、あなた自身は何ら変わらないのです。あなたの周りで何が起きたとしたとても、それがどんなに不幸な出来事(例:あなたの親の病死)であっても、あなたという存在、あなたという世界、あなたというリアリティ、それは、実は不変であり、何の影響も受けないのです。

これこそが、ジョンレノンが、ビートルズの曲、Across the Universeの中で唄った
“Nothing’s gonna change my world”という歌詞が意味することです。何もあなたという世界を変えることは出来ないのです。そして、それは真実です。

あなたが、私との個人セッションに臨んでいただけるのであれば、まず、上記の点を納得していただくことから始めます。あなたが恐れる最悪の事態が現実になったとしても、あなたという存在のリアリティは、実は、何の影響も受けないのです。セッションの中で、あなたの懸念や心配を一つ一つとりあげていって、それらが仮に実際に発生したとしても、あなたという存在は不変であることを、理解してもらいます。

「何があっても、私(=あなた)は変わることは無い」そう思えるだけで、あなたはとても安心することができます。そして、上記で指摘した、「息子の人生が終われば、私の人生も終わる」というあなたのパニックが沈静化していきます。

そして、それは、単に、あなたの気持ちがラクになるということだけではありません。あなたの内面では、あなたの精神構造が根本的に変容しはじめるのです。それを以下に解説します。

かつて、あなたの内面では、「そもそも私(=あなた)はダメ人間なんだ」という思い込みが、潜在意識に刷り込みされていました。その思い込みの背後に、「私は誰にも認められず、誰からも愛されずに、孤独に死んでいく」という恐怖が潜んでいます。その恐怖があるゆえに、「私は、何が何でも、他者から評価を受けなければいけない」という病んだ動機が創生されています。かつては、あなたの意識は、このトライアングル(思い込み―恐怖―病んだ動機)の中に絡み取られてしまい、そのトライアングルに支配されてしまいました。あなたは、他者から認められるために、遮二無二、努力をしますが、十分には認めてもらえず、更に努力を重ねるという悪循環に陥りました。あなたは「どんなに尽くしても、私は認めてもらえない」という不安の中でもがき続け、ひどく疲弊していました。

しかし、私とのセッションで、あなたという存在が、何があっても不変であることをご理解いただけると、あなたの内側で、「私(あなた)に、不変なものがあるということは、私の根底に、何か尊いものがあるということだよね」と感じ始めるのです。

我々は、何か不変なものとは、何か尊きものであると感じます。喩えれば、永遠に人々の心に残る映画の名作、絵画の名作、音楽の名作、そういったものです。例えば、スピルバーグの映画、ルノワールの絵画、ベートーヴェンの交響曲、それらは、永遠に、人々の心を揺さぶり続けるのです。それらは尊きものであるがゆえに、不変なのです。あなたは、私とのセッションの中で、名画のような「尊さ」が自身の内側にあることに気づくのです。あなたの周りで何がおきたとしても何も変わらない、そんな安定した基盤が、あなたの内側に存在することを、あなたは確信します。そして、「私はそもそもダメ人間なんだ」という思い込みが取り消されていくのです。

「私はそもそもダメ人間なんだ」という思い込みが薄れていくと、上記のトライアングルの精神構造(思い込み―恐怖―病んだ動機)がルースになり、徐々に解体されていき、あなたの意識は自由になります。かつては、あなたの意識は、そのトライアングルの内側に幽閉されてしまい、ただ、ひたすら、他者からの承認を得ようとする衝動に突き動かされていました。しかし、そのトライアングルが解体されていくと、「私は、家族に十分貢献できているのか?」とか、「私は、親に十分孝行しているか?」とか、「私は、十分に良い母親なのか?」ということを、必要以上に気に病むことが無くなります。全身全霊をこめて、誰かの評価や承認を得ようとする必要性が霧散していくのです。

そして、更に、上記のトライアングルが解体されていくと、あなたの存在の根底から、あなたの魂(精神の基盤、いのちそのもの)が自動的に浮上してきます。あなたは、自分の魂の存在を感じることが出来るようになります。なぜ、それを感じられるようになるかというと、上記のトライアングルこそが、あなたの意識を魂から乖離させて、魂を遮断していたものだからです。魂を覆っていたどんよりとした霧が晴れて、あなたはそれに触れることが出来るようになります。

パニックが沈静化されて、あなたの精神構造が変化し始めたら、ここで、私との個人セッションは、次のフェーズへと入っていきます。あなたに、もっと深く、あなたという存在「それ自体」を体験してもらい、あなたの意識を魂に融合させていくのです。そのフェーズを、次節で解説します。


第六節:あなたという存在「それ自体」の体験−魂との融合

「私は、役に立っているのか?」ということを、気に病まない状態になると、あなたが、あなたという存在「それ自体」を、もっと簡単に体験できるようになります。「私は、役に立っているのか?」ということを、気に病んでいる瞬間、あなたの意識は、「私はダメ人間だ」というイメージに、ロックオン(焦点をそこだけに合わせた状態)されているのです。そこに意識が釘付けになっている限り、あなたは脳内の劣等感のみを見つめ続け、あなたという存在「それ自体」を見ることはできません。「それ自体」を味わえないのです。

しかし、前節で解説した通り、最悪の事態が起きても、あなたというリアリティが影響を受けないことを理解し、あなたという存在の不変性を感じ、安心することが出来ると、あなたの意識は、何にも囚われなくなり、自由になります。あなたは何も心配していないが故に、あなたの意識は、何か特別なことに焦点を合わそうとしません。このとき、あなたは、あなたという存在「それ自体」を体験できるようになるのです。

そこで、私は、あなたを次のように誘導して、あなたという存在「それ自体」の体験を深めていきます。

前節で見てきたように、一つ一つ、あなたの精神内にあった、誤認識、勘違い、思い込みを解体していくと、あなたがかつて感じていた、どんよりした感覚が軽減していきます。あなたの後頭部で感じていた重苦しさ、あなたの胸の内側を圧縮するかのような圧迫感、あなたがかつて感じていた、それらの感覚がどんどん軽くなっていくのです。それに、あわせて気持ちも軽やかになっていきます。嬉しさと楽しさが自然とあふれ出していきます。

すると、あなたの内面の奥深くに、非常にゆったりとした、ふくよかで、なつかしい、そんな感覚が、あなたの身体の中心から(個人差はありますが、だいたい、みぞおちのあたりから)、放射状に全ての方向に向けて、拡散しているのが分かります。

私は、あなたに、その感覚に、あなたの意識を集めるように指示して、その感覚の中に飛び込んでいくように促します。なぜなら、その感覚そのものが、あなたという存在「それ自体」なのです。その感覚を味わうということが、あなたという存在「それ自体」を味わうこと他なりません。私は、それを魂とも呼びます。それは、あなたの精神の基盤であり、あなた個人の意識は、その基盤から生まれました。それは、あなたの存在の根幹であり、あなたの生命力の源であり、あなたのインスピレーションの源であります。それがあるからこそ、あなたをあなたたらしめるのです。

あなたの存在「それ自体」、すなわち、あなたの根幹、あなたのいのちそのもの、その内側に、あなたの意識が浸透していくと、自然と、あなたの意識が拡張されていきます。ゆっくりと確実に、あなたという存在そのものが空間的に広がっていきます。大地という母親があなたを抱擁し、あなたは大地そのものになったかのように感じます。大空という父親があなたを完全に許し、あなたは大空のように自由になります。大海原というあなたの故郷があなたを受け入れ、あなたは人生の目的地に到達したように感じ、深い充足を味わいます。あなたは、やがて、あなた自身が地球そのものになったかのように感じます。この意識の拡張は更に続きます。あなたは、最終的には、宇宙そのものを、あなたの内側に取り込んだかのように感じます。あなたは、万物があなたと共にあることを、骨身に染みて感じます。すると、あなたは、あなたの苦しみを超越するのです。

かつて、あなたは、世界からあなたが放り出されて、孤独感に苦しんでいたのに、上記の精神覚醒においては、あなたが世界を抱擁できるほどに雄大で深い存在であることを感じます。すると孤独感が霧散するだけでなく、あなたが感じている雄大さ、無限性、永遠性、慈愛、優しさ、温かさが、あなたの本質であること、すなわち、それらの性質こそが、あなた自身であることを確信します。

そして、あなたは好循環の中へと入っていきます。あなたの本質を知れば知るほど、あなたは、あなた自身の美しさに触れて、もっと自分を好きになります。すると、当然、「自分はダメ人間だ」という劣等感が更に取り消されて生き、上記のトライアングルの精神構造(思い込み―恐怖―病んだ動機)の解体が更に進んでいきます。すると、あなた、もっと深く自分の本質を知ることが出来るようになり、魂との同調がもっと深まっていきます。

あなたがあなたの本質に触れている瞬間、あなたは、ただただ、至福の喜び(bliss)を感じるだけです。不安や恐怖が消えて無くなるわけではありません。しかし、喜びがあまりにも巨大で濃厚なのです。

あなたの息子さんが、特殊学校に行くようになり、その後の彼の人生が破たんするのだとしても、あなたの至福は、全く損なわれません。彼が不幸になれば、あなたが痛みを感じるのは間違いありません。その痛みは小さなものではありません。しかし、あなたがあなたの存在の根幹を体験した時に感じる至福の喜びは、その痛みを凌駕するほどに巨大なものなのです。その痛みが、路上の水たまりぐらいの大きさなのだとしたら、その至福の喜びは、太平洋ほどの大きさがあります。その至福が、痛みや苦しみより、何兆倍も大きく深いのです。あなたの息子さんが不幸になるとしても、あなたは喜びしか感じないほどに、その至福の感覚によって、あなたの内面が占めるられるのです。

息子さんが放校処分になり、特殊学校に行くことになるにしても、あなたはそのことに怯えなくなります。その状況がどのように転んだとしても、あなたという存在の土台は、何ら揺るがないことを確信します。そして、あなたは、その状況を「危機だ」とは感じなくなります。パニックになり、怒りをもってして、その状況を正そうとするのではなく、冷静で穏やかで、慈しみをもって、その状況に接することができるようになります。すると、あなたは、息子さんと以前にも増して深く理解しあい、彼にとって最もふさわしく、かつ有意義な方策を取れるようになります。

以上が、スピリチュアルなアプローチにより、日々の苦境に対応するということです。その状況が、あなたにとって苦しいものであるのは、あなた自身の自己定義が根本原因 です。そもそも、あなたが、あなた自身を、小さく、非力で、無価値な存在だと思いこんでいるがゆえに、問題があまりにも巨大で、かつ、その巨大な問題があなたを粉砕してしまうかのように感じて、あなたは苦しむのです。

あなたが、あなたの脳内の「私はダメ人間だ」という決めつけを見つめるのではなく、あなたという存在「それ自体」を見つめるのなら、あなたの根底に、どんなものからも何の影響も受けない、永遠に不滅の、尊い何かがあるのが分かります。あなたはそれに触れて、あなたという存在の根幹が、ただただ、大きく、深く、尊く、優しく、美しいものであることを実感します。すると、それまで、深刻な脅威として感じていたその問題を、全く怯えなくなり、問題であったことを問題視しなくなるのです。

自分という存在を深く知ることで、問題そのものを解決するのではなく、問題を超越すること、これがスピリチュアルなアプローチにより、苦難に対応するということです。問題を問題と思わない。トラブルをトラブルと思わない。危機を危機と思わない。何があっても自分は大丈夫だと確信している。そんな雄大な意識状態に、あなた自身の雄大さに気づくことで到達するのです。本章のまとめとして、その点を強調します。

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